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日本ハムとソフトバンク“超激戦”のウラで…じつは「慶應ボーイ」柳町達が日本ハム・レイエスから“助言”を受けていた「だから強い」ライバル関係
posted2025/07/29 06:02
交流戦でMVP獲得も、直後に成績降下。悩む柳町達を救ったのはライバル球団の主砲だった
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田尻耕太郎Kotaro Tajiri
photograph by
JIJI PRESS
交流戦MVP男が息を吹き返した。
リーグ再開後は連続打席無安打が29に伸びるなど極度の不振。さらに打順降格、スタメン落ちも味わったソフトバンク・柳町達(やなぎまち・たつる)だったが、後半戦最初のカードとなった7月26日、27日のオリックス戦(みずほPayPayドーム)では2日連続でお立ち台に上がる活躍を見せた。初戦は6回に同点タイムリー。2戦目は2回の先制打。そして両試合ともマルチ安打を記録した。
「交流戦の頃とは、また違う打ち方、違う感覚かなとは思います。言語化すると『脱力』。体のバランスなどが、すごくできている中での脱力だと思う。バランスがすごく今いいのかなと思います」
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ヒーローインタビューや普段の取材でも言葉を選びながらゆっくりとした口調で喋る。答えに詰まると困った笑みを浮かべるのだが、それすら爽やかに見えてしまうのが柳町だ。プロ入り前は慶應義塾高校から慶應義塾大学という球歴を歩んできた「慶應ボーイ」は、大学時代も華々しい実績を残している。
高橋由伸“以来の輝き”だった慶應時代
入学直後から主力に抜てきされ、4年間のリーグ全試合にスタメン出場した。慶大では高橋由伸(元巨人)以来の快挙で、伝統の東京六大学野球リーグで放った通算113安打は歴代14位タイに名を連ねている。
「僕はもともと茨城で生まれ育ちました。中学の時にリトルシニアの大会で日本一になって声を掛けてもらったのが(高校)進学の決め手でしたが、今となっては恥ずかしい話、それまで『慶應』という存在すら知りませんでした(笑)」
現在ソフトバンクの同僚で、同学年であり同じ茨城出身の大関友久は「中学時代にはタツルのことは一方的に知っていました。それくらい有名な選手でした」と話す。
誰もがうらやむエリートコースを進み、その中で結果を積み上げて2019年のドラフト会議でソフトバンクに5位指名されてプロの世界に飛び込んだ。
しかし、プロ入り後は一転、荒波にもまれる野球人生を過ごしてきた。

