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「思いどおりに動かない」“ガラスの天才”山田直輝に突き刺さった悪意なき言葉…幼馴染の妻が語る“どん底のヤマダ君”「泣き方すら知らなかった」
text by

山田A子A-ko Yamada
photograph byFAR EAST PRESS/AFLO
posted2025/07/29 11:01
浦和レッズで頭角を現し、世代を代表する選手として期待を集めた山田直輝
そしてようやく、待ち焦がれた復帰のとき。
復帰さえできれば、再び自分のサッカーを体現できると信じて、ここまでやってきた。やっとサッカーができる。大好きなサッカーが、やっとできる。けれど、ボールは以前のように彼に懐いてはくれなかった。
思いどおりに動かない体。かつては無意識にできていたプレーが、今は何度繰り返しても決まらない。脳と体のあいだに、大きなズレが生まれていた。
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「昔のお前はこうだった!」
「前はもっとこうしていただろう?」
悪意のない言葉たちが、かえって彼の心を深くえぐっているようだった。本当の苦しみは、ケガをすることでも、夢を絶たれることでもなかった。彼にとってのいちばんの痛みは、自分の思い描くサッカーが、そこにはもうなかったことだった。
かつての彼にとって、サッカーは簡単で、楽しいものだった。けれど今は、サッカーがわからない。どうしていいのかわからない。頭ではなく、体がまるで記憶をなくしてしまったような、そんな状態だった。
代表戦やチームのピッチから遠ざかる時間が積み重なるにつれ、街で声をかけられることも、目に見えて減っていった。
こうして少しずつ、この人はサッカー選手ではなくなっていくのだろうか。そんな不安が、いつも隣に座っていた。
お酒がまったく飲めない彼は、その絶望をアルコールでごまかすこともできない。ただひしひしと、“本当のどん底”の痛みを感じていた。
それでも彼は、人前で弱音を吐くような人ではなかった。それは私の前でも同じだった。本当は、泣いてもよかった。叫んでもよかった。
けれど彼は、そういう感情表現の仕方すら知らないようだった。
玄関に貼りつけた色紙
そんなある日、彼は玄関のドアに「浦和のハートになる」と書いた色紙を貼りつけた。
それは、かつて自分に向けられた「俺たちのナオキ 浦和のハート」というチャントを、静かに自分に言い聞かせるような行動だった。毎朝その言葉を見ては、自分に喝を入れ、練習場へと向かった。
その姿は、まぎれもなく誇らしいものだった。
けれど、以前の彼は、喝なんて入れずとも、練習場に向かうことが楽しみでしかたない、そんな人だった。
そのころの私は、せめて自宅では穏やかに過ごしてほしいという思いから、「サッカー」という言葉を出すのもためらっていた。
まるで、ふれてはいけないもののように、サッカーを腫れもののように扱う日々だった。〈全2回〉
山田夫妻の共著となる『となりのヤマダ君 小さくて足が遅くてケガの多い35歳のサッカー選手』(徳間書店)では、在籍した浦和レッズや湘南ベルマーレへの想い、さらに現在プレーするFC岐阜での生活まで赤裸々に綴っている
山田直輝(やまだ・なおき)
1990年7月4日生まれ。プロサッカー選手。幼いころから体が小さく、スピードにも恵まれなかったが、サッカーIQと広い視野を武器に、小学校・中学校・高校と、全カテゴリーで全国優勝をはたし、高円宮杯第19回全日本ユース(U-18)サッカー選手権大会では得点王に輝いた。高校3年時には浦和レッドダイヤモンズのトップチームに2種登録され、18歳で日本代表に選出。順調にステップアップしていくかに思えたが、度重なるケガに苦しむことになる。それでも幾多の困難を乗り越え、湘南ベルマーレでのプレーを経て、2025年、35歳となった今もFC岐阜でキャプテンを務めながらピッチに立っている



