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「なんで直輝ばっかり…」幼馴染の妻が明かす“浦和の天才”山田直輝の悲劇…ロンドン五輪直前で靭帯断裂「亡き祖母のため息が忘れられない」
posted2025/07/29 11:00
左膝前十字靭帯断裂の大怪我を負う3日前の山田直輝(当時21歳、浦和レッズ)。2012年ロンドン五輪での活躍が期待されていた
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山田A子A-ko Yamada
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FAR EAST PRESS/AFLO
浦和レッズで頭角を現し、18歳で日本代表デビューを果たした山田直輝(現・FC岐阜)は日本サッカーの未来を担う存在だった。しかし――度重なる大けがに見舞われ、何度も選手生命の危機に陥った。そんな山田を支えたのが中学校時代からの同級生である妻と家族だった。山田直輝と妻・A子の著書『となりのヤマダ君 小さくて足が遅くてケガの多い35歳のサッカー選手』(徳間書店)より、左膝前十字靱帯断裂の大怪我を負った時のエピソードを抜粋して掲載します。【全2回の前編/後編も公開中】
山田夫妻それぞれの視点で半生を振り返る『となりのヤマダ君 小さくて足が遅くてケガの多い35歳のサッカー選手』(徳間書店)。今作ではnoteで話題を集めた妻・A子によるエッセイに加え、山田直輝目線のエピソードも盛り込まれている
大学生活も終盤に差し掛かり、私は就職活動の真っ只中にいた。
ヤマダ君はというと、浦和レッズに所属しながら、ロンドンオリンピックの最終予選メンバーとして、再び日の丸を背負い闘っていた。
その日、ヤマダ君と私と中学の友人の3人で、夕食をともにしていた。当時はいわゆる就職氷河期。友人と私は、なかなかうまく進まない就職活動を前に嘆いていた。
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企業に応募する際のエントリーシートでは、必ずといっていいほど、“挫折”の経験と、それをどう乗り越えたかを問われた。
その悪趣味な質問について話していたときだった。ヤマダ君はさらりと言った。
「俺、挫折ってしたことないなー」
私は一瞬、言葉を失った。何を言ってるんだ、この人は。
ついこのあいだ、腓骨を折っていたじゃないか。悔しい、情けない、サッカーがしたいと泣いていたじゃないか。
私はてっきり、あのとき彼は、人生のどん底にいるのだと思っていた。
あれは、“挫折”じゃなかったのか? じゃあ、挫折以外のなんだったのか?
この時点で彼は、すでに数度のケガと、長く過酷なリハビリ生活を経験していた。それは、十分エントリーシートに書けるエピソードだと伝えると、ヤマダ君は少し考えてから、「ああ、たしかにそうかー。でも、ロンドンオリンピックのメンバーに入れなかったら、それこそ俺にとって初めての挫折だなー」と天井を仰ぎながら、そう言った。

