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「思いどおりに動かない」“ガラスの天才”山田直輝に突き刺さった悪意なき言葉…幼馴染の妻が語る“どん底のヤマダ君”「泣き方すら知らなかった」
posted2025/07/29 11:01
浦和レッズで頭角を現し、世代を代表する選手として期待を集めた山田直輝
text by

山田A子A-ko Yamada
photograph by
FAR EAST PRESS/AFLO
浦和レッズで頭角を現し、18歳で日本代表デビューを果たした山田直輝(現・FC岐阜)は日本サッカーの未来を担う存在だった。しかし、度重なるケガに見舞われ、何度も選手生命の危機に陥った。そんな山田を支えたのが中学校時代からの同級生である妻と家族だった。山田直輝と妻・A子の著書『となりのヤマダ君 小さくて足が遅くてケガの多い35歳のサッカー選手』(徳間書店)より、左膝前十字靱帯断裂を負った時のエピソードを抜粋して掲載します。【全2回の後編/前編も公開中】
「前十字靱帯断裂」というケガの状況が、浦和レッズより公式にリリースされると、サポーターから自宅の壁を覆い尽くすほどの大きな応援幕が届き、いくつもの千羽鶴が積み重なった。
部屋を開けるたびに、目に飛び込んでくる「がんばれナオキ」「待ってるよ」の文字。どれもまっすぐで温かかった。
夫は、レッズを離れてどれだけ時間がたっても、あのころのサポーターへの感謝を語り続ける。きっと、あのときに受け取った無数の想いが、どれほど自分を支えてくれたか、強く胸に刻まれているのだと思う。
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彼は、ケガの直後から、静かに現実を受け入れていた。取り乱したり、周囲に怒りをぶつけたりすることもなく、ただ静かに、置かれた状況と向き合っていた。
“どん底”にいた山田直輝
術後の経過が悪く、入院生活は延長された。ようやく退院できたと思ったのも束の間、やはり患部の状態が悪く、再手術、再入院を余儀なくされた。
その間も彼は、復帰が1カ月延びるのも、2カ月延びるのもたいして変わらないから、そう言って周囲に笑顔を向けた。
その長い入院生活には、レッズ関係者や中学の同級生など、たくさんの人が見舞いに来てくれた。そして、みんなが彼に思い思いの言葉を送った。
多くのエールにふれながら、今は“どん底”でも、治ればまた自分のサッカーができる。そう信じて、彼は前向きに日々を過ごしているようだった。

