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「俺には情はあるけど、非情もあるからな!」《闘将》星野仙一監督の“アメとムチ”とは…広澤克実が語る3人の名将「うちの息子の病気のことまで」
posted2025/07/16 17:04
故障から自分の打撃を見失っていた広澤だが、星野監督時代には代打中心ながら復調する。広澤が見た星野の恐るべき闘志とは……?
text by

長谷川晶一Shoichi Hasegawa
photograph by
JIJI PRESS(2)
現役晩年を迎え、かつての恩師・野村克也に請われる形で阪神タイガースに移籍した。しかし、その野村も「サッチー騒動」に連座するようにチームを去った。その後任となったのが、広澤克実にとって明治大学の大先輩となる星野仙一だった。
見知らぬ番号からの電話
「あれは、2002(平成14)年の1月のことだったと思うけど、見知らぬ番号から電話がかかってきたんです。といっても、その末尾は《0077》。思わず、“うわっ”となってしまいましたよ。誰がどう見ても、《あの人》からの電話だから(笑)」
慌てて電話に出る。広澤が、「明けましておめで……」と言いかけると、受話器の向こうでは、「オレの監督としての生命線は井川(慶)だからな。井川を頼むぞ!」と一方的にまくし立てて、そのまま切れた。広澤が振り返る。
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「僕があいさつをする間もなく、一方的にしゃべって、そのまま電話は切れました。ちょうどそのとき、茨城の水戸で井川と一緒に自主トレをしていたので、僕のところに電話をかけてきたんだと思います。それにしても、まったくあいさつをする間もないぐらい、一瞬の出来事でした(笑)」
阪神での初陣、星野はベンチ裏で倒れていた
前年の01年までは中日ドラゴンズの監督を務めていた星野は、野村の退任とともに、横滑りする形で同一リーグであるタイガースの監督に就任した。期する思いが大きかったのだろう。タイガースの監督としては初陣となる02年開幕戦の出来事を、広澤が述懐する。
「02年の開幕戦は、東京ドームでジャイアンツが相手でした。先発は井川で、タイガースはこの試合に勝利します。でも、この試合の終盤、8回だったか、9回だったか、星野さんがベンチ裏で倒れてしまったんです……」

