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ノムさんが「そんなに走って、技術練習できるのか?」広澤克実が出会った“3人の名将”「《知将》野村克也監督の神髄は“データのウラの心理”」
posted2025/07/16 17:02
陸上部よりも走らされ、走って野球がうまくなるならマラソン選手がホームラン王だろ! と悪態をついていた広澤たちに野村監督がかけた声とは……
text by

長谷川晶一Shoichi Hasegawa
photograph by
Naoya Sanuki(L)/Koji Asakura(R)
野村、長嶋、星野を知る男
広澤克実——。ヤクルトスワローズ時代には野村克也、FA移籍した読売ジャイアンツでは長嶋茂雄、そして自由契約からの入団となった阪神タイガースでは星野仙一の下で現役時代を過ごした。野村、長嶋、星野、いずれも球史に残る名監督である。
「僕には《名将の3つの条件》があります。1つ目は勝つこと。勝利を重ねていないと説得力がないから。2つ目は次世代を育成すること。自分の代だけではなく、次に続く世代にも戦力を残すことができる人。そして3つ目はリーダーを作れること。現役引退後、いつかはコーチや、監督となるときがくる。きちんと事業継承できる人材を育てること。この3つの条件がそろって初めて、《名将》と言ってもいいのだと思います」
そして、広澤はこう続けた。
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「もちろん、野村さん、長嶋さん、星野さん、いずれも名将だと僕は思っています。だけど、3人それぞれ個性があって、野村さんは《知将》、星野さんは《闘将》、そして、僕をこの世界に導いてくれた長嶋さんは、この世に2つとない《太陽》でした」
セ・リーグ3球団で四番打者を務めた広澤だからこそ語れることがある。それぞれの「名将」について話を聞きたい。そう切り出すと、彼の口から語られたのは1990(平成2)年、野村との出会いの場面だった。
走って打てるなら瀬古利彦がホームラン王だろ!
「僕はそれまで、土橋正幸、関根潤三監督の下でプレーしていました。明治大学時代には、あの島岡吉郎監督でしたから、当然、昭和の時代の価値観で育った選手でした。野村さんが監督に就任すると決まったときも、“また走らされるのか……”と覚悟をしていました。当時の僕らは陸上部よりも走っていると言われていましたから」
この頃、広澤は「走って野球がうまくなるのなら、瀬古利彦はホームラン王だ」とか、「増田明美は150キロを投げられるはずだ」と、当時の日本マラソン界の雄の名前を挙げながら、チームメイトたちと悪態をついていたという。


