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「俺には情はあるけど、非情もあるからな!」《闘将》星野仙一監督の“アメとムチ”とは…広澤克実が語る3人の名将「うちの息子の病気のことまで」
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長谷川晶一Shoichi Hasegawa
photograph byJIJI PRESS(2)
posted2025/07/16 17:04
故障から自分の打撃を見失っていた広澤だが、星野監督時代には代打中心ながら復調する。広澤が見た星野の恐るべき闘志とは……?
当時の報道によれば、星野に異変が見られたのは6回のことだという。グラウンドではなおも試合が展開されている。しかし、三塁側ベンチ裏ではヘッドコーチの島野育夫とトレーナーが、必死に星野を介抱していたという。このとき、星野の血圧は200を超えていたという証言もある。
勝利の瞬間には平然と
「僕はその様子をベンチの中でチラチラと見ていました。でも、驚いたのは9回裏になったところで、星野さんは平然とベンチに戻ってきたんです。そして、そのまま勝利して、何事もなかったかのように井川と握手をしていました」
現役時代から、「打倒ジャイアンツ」を標榜してきた星野にとって、新天地での初陣、しかも相手が宿敵ジャイアンツということもあって、その決意は並々ならぬものがあったのだろう。広澤は、今でもそう考えているという。
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それまでの「大学の先輩後輩」という間柄から、新たに「監督と選手」という立場になることによって、広澤には新たな「星野仙一像」が見えてきたという。
「長嶋(茂雄)さんがそうだったように、星野さんもまた、“星野仙一を演じていた”と言われますよね。特に星野さんが意識していたのは、アメとムチ、厳しさと優しさの使い分けでした。選手の奥さんの誕生日を調べてバラの花を贈るというのは有名なエピソードですけど、僕の場合は子どものことまで気遣ってもらいましたから」
広澤の子息への気遣い
ある日、広澤は星野に呼ばれた。その表情は、試合中に見せる「闘将」のそれではなく、とても柔和なものだった。
「当時、うちの息子は喘息持ちで病気がちだったんです。ある日、星野さんに呼ばれて行ってみると、“さぁ、これ“と言って、メモを渡されました。そこには病院の名前がたくさん書かれていて、“紹介してやるから、いつでも言ってくれよ”と言われました。まぁ、そういう人なんですよ、星野さんは」
広澤によると、こうしたことは「カネ(金本知憲)や赤星(憲広)など、誰もが経験しているはず」だという。

