革命前夜~1994年の近鉄バファローズBACK NUMBER

「やっぱりあのフォークはメジャーでも通用するんだ」野茂英雄を最も打った左打者・藤井康雄も「“浮き上がる”フォークはお手上げでした」

posted2025/06/27 11:02

 
「やっぱりあのフォークはメジャーでも通用するんだ」野茂英雄を最も打った左打者・藤井康雄も「“浮き上がる”フォークはお手上げでした」<Number Web> photograph by Takahiro Kohara

野茂から4本のHRを放ったオリックスの藤井康雄が体感した、「野茂がメジャーで通用した理由」とは

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喜瀬雅則

喜瀬雅則Masanori Kise

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Takahiro Kohara

野茂英雄がメジャーに渡って30年。彼の渡米はどうして可能になったのか? すべてがはじまった前年、1994年の近鉄バファローズの関係者を当時の番記者が再訪し、「革命前夜」を描き出す。野茂に対して左打者としては最高の成績を残した藤井康雄が見た「野茂とメジャー」。そして藤井と同じチームに現れたスーパースターの運命が、わずかに野茂と交錯する。〈連載「革命前夜〜1994年の近鉄バファローズ」第23回/初回から読む前回はこちら

 藤井康雄は阪急、オリックスでの16年間で現役通算282本塁打、野茂のルーキーイヤーにあたる1990年には37本塁打をマークしている。満塁本塁打の通算14本は歴代3位で、代打満塁本塁打4本は日本記録でもある。

 その勝負強さと、人望の厚さから「ミスター・ブルーウェーブ」と呼ばれ、40歳で現役を引退した後は、オリックス、ソフトバンク、阪神で打撃コーチを歴任した。

野茂から結構打ってるはずだけど

 2025年は、野球解説者を務めながら、社会人野球のアスミビルダーズでコーチを務め、さらには小・中学生のチームでも精力的に指導している。

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 今回、藤井に取材をお願いしたのは、野茂との対戦成績が優れていたからだ。

「俺、多分、野茂から結構打ってるはずだけどな、という風には思っていたんです」

 藤井は、野茂のフォークを“捨てる”覚悟で、打席に入ったという。この世界でよく言われるところの、狙い球以外が来たら「ごめんなさい」というやつだ。

「フォークを意識させられたら打てない。フォークが来たら、もう三振覚悟です。ただ1打席の中で、例えば5球全部フォークはないだろうと。頭の中で常に真っすぐを待って、その真っすぐをいかに仕留めるかだけでした」

対野茂で左打者最高打率

 追い込まれて、フォークが来たらもう打てない。ならば、その前に必ず来るであろう真っすぐを狙っていく。藤井は、野茂と40打席以上対戦した打者の中で、通算6位となる打率.283。実は左打者で通算3割以上はおらず、前述した通り、上位5人はすべて右打者なのだが、6位の藤井が左打者としては“最高打率”を誇っている。

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