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「野茂英雄はサイドスローなんです」メジャーに最も近かった男・佐々木誠が語る“新たな野茂観”と“特異性”「球種を見破っても打てなかった」 

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喜瀬雅則

喜瀬雅則Masanori Kise

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photograph byTakahiro Kohara

posted2025/06/27 11:01

「野茂英雄はサイドスローなんです」メジャーに最も近かった男・佐々木誠が語る“新たな野茂観”と“特異性”「球種を見破っても打てなかった」<Number Web> photograph by Takahiro Kohara

野茂と言えば豪快なトルネードからの上手投げ、のはずだが……当時最強打者のひとり、佐々木誠が語った特異な投球フォームの秘密とは?

 その“型”だと、プレートの一塁側に立ち、一塁側へ体を倒しながら右腕を振れば、右腕がオーバースローの軌道を通ることになる。それはつまり、プレートの一塁側、あるいは中央付近に軸足を据え、オーソドックスに上から投げてくる左投手の左腕の軌道と、一塁側に傾いて投げ込んでくる“サイドハンドの野茂”の軌道が、それこそ重なってくることになる。

実は右打者のほうが野茂を攻略しやすかった

「だから、野茂を攻略するのは、右バッターの方が多分上手いんですよ。右バッターが打ってるんですよ。ボールが中に入ってくる形になるから、全部ね」

 佐々木の指摘は、データがはっきりと裏付けている。

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 野茂と通算40打席以上対戦した打者の中で、最も打率が高いのは前述した西武・清原和博で、通算.356(118打数42安打)。これに次ぐ.333(120打数40安打)と野茂をカモにしていたのが、当時の西武の1番打者・辻発彦。同じく.333をマークしているのがロッテ・南渕時高、さらに日本ハム・広瀬哲朗(.298)、中島輝士(.293)と、打率上位5人はいずれも右打者が並んでいる。

 その錯覚に加えて、伝家の宝刀・フォークが複雑な動きを見せる。

「野茂のフォークも、落ちる時と落ちない時があるんです。この辺から落ちてくるだろうと思ったら、すーっと真っすぐ来たりするんですよ。あれ、意図的に投げているのかが分からないんですけど、うまいんですよ、フォークの使い方が」

牛島と野田を合わせたフォーク

 その“フォークの使い手”として、野茂に匹敵する存在として佐々木が挙げたのが、元ロッテのストッパー・牛島和彦と、1995年4月21日のロッテ戦(千葉マリン=当時)で日本記録となる1試合19奪三振をマークした元オリックス・野田浩司の2人だった。

「牛島さんのフォークは、スライドしたり、シンカーしたり、そのまま落ちたりとか、投げ分けていましたね。あれはやっぱり、投げ分けていますよ。野田ちゃんの場合は、どこにいくか分からないんです。野茂のフォークで一番印象的だったのが、デッドボールだと思ってよけたら、ボールが戻って来て、体のあたりに来ていたやつが外へ逃げていって、ストライクゾーンに入ってきました。あれは打てない」

 牛島と野田のフォークを、それこそ“ブレンド”したような野茂の魔球に、佐々木は手こずり続けたのだという。

【次ページ】 1メートル近くは落ちていた

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