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野球クロスロードBACK NUMBER
長嶋茂雄が思わず「キヨシ、これが本当の重圧なんだな…」中畑清が振り返る“代表監督”秘話…極秘入院→脳梗塞に倒れ「長嶋さんは精根尽きていた」
text by

田口元義Genki Taguchi
photograph bySankei Shimbun
posted2025/06/25 11:02
2004年のアテネ五輪に向けて日本代表を率いた長嶋茂雄監督と中畑清ヘッドコーチ。長嶋監督の急病もあり、途中からは中畑が監督代行に
自身が現役だった第一次政権での長嶋は、40代と若かったため気性が激しかった。勝利への執念を前面に打ち出し、烈火のごとく怒りを表現していたこともあったという。
「『俺はプロ野球選手だ!』っていう自覚が薄いプレーには厳しかったよな。やかんを蹴るなんて当たり前だし、壁に固定されて動かない机を『この野郎!』って思い切り殴って手を骨折とかしていたよ。笑顔が目立つとか表情は穏和なんだけど、実際は全然! 俺が現役のときは特に厳しかったな」
長嶋が93年に再び巨人の監督となり、中畑がコーチとして支える立場として間近で見ていても、長嶋は長嶋のままだった。
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プロとしての使命感を訴えかける。94年の同率首位の中日とのセ・リーグ優勝を懸けた、「10.8」決戦を前に声高に叫んだ「勝つ! 勝つ! 勝つ!」。96年には首位の広島と最大11.5ゲーム差を離されながらも「メークドラマ」を宣言し、驚異的な追い上げの末にリーグ優勝へと導いた。
あの長嶋茂雄でも苦しんだ「日の丸の重み」
長嶋の言霊には強烈な求心力があり、時に不可能を可能にもしてきた。そして、その神通力をも奪うほどの圧力とも戦ってきた。
「日の丸の重み」である。
第二次政権を務め上げた翌年の2002年。長嶋は野球日本代表の強化本部長を経て、04年に開催のアテネオリンピックで代表を率いることが決定した。
ミスタープロ野球がナショナルチームの監督となる――。「長嶋ジャパン」でヘッドコーチに就任した中畑は、日本代表の旗頭となった長嶋の苦悩を誰よりも知る男でもある。
「今まで経験してこなかった、オリンピックという別世界へどんどん引き込まれて行く怖さというのかな。そういうのが長嶋さんにもあったと思う。ジャイアンツの監督時代にいつも言っていた『エンジョイですよ』みたいなコメントが一切、出なくなった」
巨人の上原浩治に高橋由伸、西武の松坂大輔と、当時のスター選手が集結した長嶋ジャパンは、オリンピックでは初めてとなるオールプロの「ドリームチーム」と話題となった。
野球の伝道師たれ。
日本代表の結成にあたりチームに与えたこの言霊。それは、長嶋が挑む壮挙への並々ならぬ使命感と決意の表れでもあった。


