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長嶋茂雄が思わず「キヨシ、これが本当の重圧なんだな…」中畑清が振り返る“代表監督”秘話…極秘入院→脳梗塞に倒れ「長嶋さんは精根尽きていた」 

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田口元義

田口元義Genki Taguchi

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photograph bySankei Shimbun

posted2025/06/25 11:02

長嶋茂雄が思わず「キヨシ、これが本当の重圧なんだな…」中畑清が振り返る“代表監督”秘話…極秘入院→脳梗塞に倒れ「長嶋さんは精根尽きていた」<Number Web> photograph by Sankei Shimbun

2004年のアテネ五輪に向けて日本代表を率いた長嶋茂雄監督と中畑清ヘッドコーチ。長嶋監督の急病もあり、途中からは中畑が監督代行に

 中畑が言葉を震わせる。

「長嶋さんの願望と覚悟。選手には『野球の伝道師になってほしい』と伝えて、そして自分は『世界に日本のプロ野球のすごさを知ってもらうことを最後の仕事にしたい』と。あの言葉を発した瞬間というのは、そういう長嶋さんの想いが凝縮されていたのよ」

 タテジマのジャパンのユニフォームをまとった長嶋の初陣となる、03年11月のアジア選手権。日本は中国、台湾、韓国を破る3連勝でオリンピックの出場権を獲得した。

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 世界における日本はトップレベルであることから、世間はこの結果を必然だと信じて疑わなかった。もし、「負けるかもしれない」という恐怖があったとすれば、そこと誰よりも戦っていたのが監督の長嶋だった。

「あのときの長嶋さんは、精根尽き果てていた」

「これが、本当のプレッシャーっていうものなんだろうなぁ……キヨシなぁ……」

 韓国戦後、監督室に入った途端に長嶋から活力が急速に失われていくようだった。声はかすれ、ぐったりとしている。いつもなら子供のようにユニフォームを脱ぎ散らかす監督が、スローモーションの動画再生のようにゆっくりと着替えようとしている。それも、手つきがどこか頼りなさそうに映った。

 そこには、中畑が今まで見てきた「光」とは大きくかけ離れた長嶋茂雄がいた。

「常に野球界全体のことを考えている人だし、日の丸を背負う重みをより感じていたんだろうね。あのときの長嶋さんは、精根尽き果てていたなぁ……」

 その心労は年明けに数日間、極秘入院するほどで、3月には脳梗塞で病床に伏せってしまう。中畑は監督代行として「長嶋ジャパン」を率いることとなり、「俺にも一貫して責任というか、プレッシャーに凝り固まっていた部分があった」と、長嶋が抱えていた重圧を痛感することとなった。明るさが持ち味でありながら、オリンピック本戦では中畑から笑顔が消える。金メダルが至上命令とされていた日本代表は銅メダルに終わった。

 監督、ミスター、オヤジと慕う恩師を欠き、責務を果たせなかった悔しさはある。だが、このオリンピックを通じて中畑は、奥底に眠っていた感情をすくい上げることができた。

【次ページ】 監督なんて二の次…一番は「ファン」というDNA

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