- #1
- #2
野球クロスロードBACK NUMBER
「偉そうに腕組んで見てんじゃねぇ!」に「よぉし」と長嶋茂雄が走り出し…中畑清が語るミスターとの“地獄のキャンプ”「雲の上から降りてきてくれて」
posted2025/06/25 11:01

若手時代の中畑清に、「地獄」と言われた伊東キャンプで自ら打撃指導をする長嶋茂雄監督。のちに巨人の主力となる中畑の礎を築いた
text by

田口元義Genki Taguchi
photograph by
Sankei Shimbun
中畑清にとって長嶋茂雄とは、ひとりではなかった。
告別式での弔辞では、まるでそのことを強調するようにこう語り出す。
「監督、オヤジさん、そしてミスター……。長い間、ありがとうございました」
ADVERTISEMENT
中畑のなかに様々な長嶋茂雄が映し出される。「私の人生の全て」。恩人への最大限の感謝の意を表すなかで真っ先に「思い出」として綴った出来事が、1979年のシーズン終了後に行われた伊東キャンプである。
地獄――。
巨人の伝説として語り継がれるおよそ1カ月間の秋季キャンプは、そう呼ばれている。
9年連続で日本一となった「V9」の翌年となる74年に長嶋は引退し、監督となった75年に巨人は球団史上唯一の最下位に沈んだ。この年のドラフトで3位指名されたのが中畑である。そして4年目の79年、100試合に出場して打率2割9分4厘、ホームラン12本と台頭を果たした。
「地獄」に召集された中畑ら若手有望株
伊東キャンプに招集されたのは、中畑のような若手の有望株だった。江川卓、西本聖、篠塚利夫、松本匡史……。79年は5位と低迷したことから、監督だった長嶋は戦力のテコ入れを目指すべく、若く、まだ磨きが足りない18人を徹底的に鍛えると宣言する。
「君たちが将来のジャイアンツの屋台骨を背負っていくんだよ」
このときの中畑は、監督が描く未来をまだ飲み込めてはいなかった。
「俺にとって長嶋茂雄は雲の上の存在だったから、『君たちが主役になってほしい』と言われてもピンとこないのよ。それくらい俺のなかでV9は偉大だったわけだ」
中畑にとってV9の象徴であり憧れ。「ミスタープロ野球」と国民から愛されるスーパースターが招待したのは“地獄”だった。
キャンプ初日。そのことを思い知らされる。