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長嶋茂雄が思わず「キヨシ、これが本当の重圧なんだな…」中畑清が振り返る“代表監督”秘話…極秘入院→脳梗塞に倒れ「長嶋さんは精根尽きていた」
posted2025/06/25 11:02

2004年のアテネ五輪に向けて日本代表を率いた長嶋茂雄監督と中畑清ヘッドコーチ。長嶋監督の急病もあり、途中からは中畑が監督代行に
text by

田口元義Genki Taguchi
photograph by
Sankei Shimbun
中畑清のキャラクターは、長嶋茂雄によって形成されたといっていい。
本人によると、あれはプロ3年目の練習中だったという。監督の長嶋から「調子はどうだ?」と尋ねられた中畑は、紋切型に「まあまあですかね」と返答する。その様子を見ていたコーチの土井正三からこう咎められた。
「監督が調子を聞いて『まあまあです』なんて答える選手を使うわけないだろ。これからは調子が悪くても『絶好調です!』と言え」
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中畑はそれ以来、長嶋から状態を問われれば「絶好調です!」と声を張った。4年目の79年にレギュラーとなると、80年には初めて規定打席に到達して22本のホームランを放つなど巨人の主力へと駆け上がった男は、ファンからこう呼ばれるようになった。
絶好調男。
「監督が暗くなれば周りも暗くなる」
このアイデンティティの重要性を再確認させられたのは、長嶋と同じ立場となってからだ。2012年。DeNAの監督となった中畑は、改めて「絶好調」と向き合っていた。
「プラス思考というかさ、自己暗示をかけるというかね。なかなか勝てないときにマイナスに考えたら、とことん落ち込むぜ。鬱になるぜ。弱いぜ、人間は! そこに立ち向かって新しい世界を切り開いていくためには、やっぱり前向きに行動しなきゃいけない。監督の俺が暗くなれば周りも暗くなるからな」
絶好調男は、現役時代に「燃える男」とも呼ばれていた。その熱き灯が、監督となって再燃されたのである。
熱源は自らの矜持だけではない。偉大なる背中に思いを馳せるように中畑が紡いでいた。
「すべてはオヤジの存在だよな。近くでいろんな姿を見てこなかったら、今の俺の立ち向かっていくような監督像にはならなかった」
中畑にとって「ミスタープロ野球」と呼ばれた長嶋は、監督となっても常にファンファーストを重んじていた。