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「ナガシマの息子のくせに下手だな」“2世”長嶋一茂はなぜ小5で野球をやめた?「オレはひどく嫌で」…一茂は「長嶋茂雄の巨人監督解任」で再び野球を始めた
posted2025/06/22 11:04
1993年、巨人にトレード移籍した長嶋一茂。父と子、2人が巨人で戦った4年間があった
text by

中溝康隆Yasutaka Nakamizo
photograph by
KYODO
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「俺はひどく嫌だった」日本一有名な野球少年
「長島一茂クン(小学4年9歳)がリトル・リーグの『クリッパーズ』に入団、背番号90」(週刊平凡1975年9月25日号)
50年前、彼は日本で最も有名な野球少年だった。長嶋一茂である。前年、現役引退した父の長嶋茂雄が率いる巨人は最下位に低迷中。監督1年目の悩めるミスタープロ野球を救おうと、1975年7月12日には、田園調布の高級住宅街で六十余名がプロ野球史上初めて監督を励ますデモ行進を決行した。多摩川グラウンド横から田園調布駅前まで約2.5キロの道のりを「長嶋監督を励ます緊急大集会」や「全巨闘」といったプラカードを持った若者達が練り歩いたのだ。
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そんな社会的な注目を集める国民的スーパースターの息子が、これまでのクラスメートたちとの遊びの延長ではなく、リトル・リーグで本格的に野球を始める。すると、昭和のマスコミは9歳の一茂を執拗に追いかけた。日曜日の早朝からグラウンドには10人もの取材陣が集まり、三塁でシートノックを受ける背番号90の少年にこぞってカメラのレンズを向ける。ひとりだけの特別扱いにチームメイトたちも戸惑いを隠せない。それは、9歳の少年にとって、あまりに酷な仕打ちだった。
「とにかく、マスコミの輪に囲まれたとたん、すっと友達がいなくなってしまう。これはきっと囲まれた人間じゃなきゃわからない。本当に寂しい経験なのだ。大人だって嫌に違いないが、子供の俺にとっては本当にひどいストレスだった。全然知らない大人に家族のことを聞かれるのも、俺はひどく嫌だった」(三流/長嶋一茂/構成・文 石川拓治/幻冬舎)
なぜ小5で一度野球をやめたか?
そんな異様な状況に嫌気がさした一茂は、5年生のある日、ついに自らの意志でチームを辞める。

