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「ナガシマの息子のくせに下手だな」“2世”長嶋一茂はなぜ小5で野球をやめた?「オレはひどく嫌で」…一茂は「長嶋茂雄の巨人監督解任」で再び野球を始めた
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中溝康隆Yasutaka Nakamizo
photograph byKYODO
posted2025/06/22 11:04
1993年、巨人にトレード移籍した長嶋一茂。父と子、2人が巨人で戦った4年間があった
だが、野球を嫌いになったわけじゃない。なぜなら、一茂は「自分は日本一の長嶋茂雄ファン」を自負していたからだ。「親父のようになりたい」。それが少年が密かに胸に抱いた将来の夢だった。
ある日、多摩川が大雨で氾濫して、多摩川グラウンドが水浸しになっていると聞いた茂雄は、巨人のユニフォーム姿のまま、一茂を連れてふたりで様子を見に出かけた。グラウンドは泥流に飲み込まれ、しばらく練習使用は絶望的だったが、ここで茂雄は意外な行動に出る。
「でっかいフナとか雷魚やなんかがグラウンド中にうようよしていた。それを見た父が『よし一茂、一緒に魚捕まえるぞ!』といきなり張り切りだした。そして小池商店でバケツを借りて、ピクピクしている魚を手づかみで獲りはじめた。僕も真似して獲った。(中略)誰もいない多摩川のグラウンドで、二人でたくさんの魚を捕まえた。心に残る、父との楽しい思い出だ」(ゲーテ2022年1月号)
「あの大事件」で野球に戻った
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いつの時代も、息子は、父の背中を必死で追う。そして、一茂が野球に戻るきっかけは、あの球界を震撼させた大事件だった。
1980年秋、長嶋茂雄の巨人監督解任である。中学3年生になった息子は江川卓の大ファンだったが、憧れの父親を切り捨てた巨人軍に無性に腹が立った。俺が父親を切った相手を見返してやろうと心に決めるのだ。1981年春、立教高校に進学すると迷うことなく野球部へ。世間がナガシマロスを感じていたところに野球界へ戻ってきた、“長嶋茂雄の息子”。一茂は再び、自ら喧噪の中に身を投じたのだ。
身長181センチ、体重81キロ。幼少時から水泳で鍛えた強じんな背筋に加え、握力も80キロを超える立派な体躯を誇り、校内で柔道大会があれば、圧倒的な強さで優勝してみせた。荒削りだが、パワーは超一級品。一茂はアスリートとして、間違いなく“逸材”だったのである。しかし、野球から離れていた4年間のブランクは大きく、1年夏は右ヒジの剥離骨折でギプスをつけたまま球拾い。練習試合で三振やエラーをすれば、「ナガシマの息子のくせに下手だな」なんて野次られる。それでも、2年秋には、本格的に野球を始めてわずか1年半で、一茂は「4番・一塁」を任せられるまでに急成長を見せる。
背番号3をつけて臨んだ3年夏、チームは県予選準決勝で惜しくも敗れて甲子園出場を逃すが、父と同じく立教大学の野球部へ進むことを決断する。


