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「残念だけど、お前は戦力に入ってない」実家で父親・長嶋茂雄が告げた戦力外通告…“2世”長嶋一茂が現役引退した日「父子、巨人での4年間」
posted2025/06/22 11:06

1993年、巨人にトレード移籍した長嶋一茂。写真は同年オープン戦で、長嶋茂雄監督と一茂
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中溝康隆Yasutaka Nakamizo
photograph by
KYODO
「ミスタープロ野球」として愛されたスーパースター長嶋茂雄。その長男・長嶋一茂。2人が巨人で戦った4年間があった。「残念だけれど、お前はもう来季の戦力に入ってない」父親の戦力外通告、一茂が現役引退するまで。【全3回の3回目/第1回、第2回も公開中】
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「何が爺やだ、コノヤロー」
グラウンドを離れたら、憎めない育ちのいいお坊ちゃんで、指揮官の関根潤三監督も小さいころから知る一茂に対しては、「孫を愛するお爺ちゃん状態」だったという。ユマ・キャンプで一茂と同室になった先輩選手の小川淳司は、長嶋ジュニアの規格外のお坊ちゃんぶりを楽しそうにこう振り返っている。
「遠征に出発する直前、神宮で練習をし、風呂に入って、さあ遠征へというときに一茂が鏡の前で頭を乾かしながら、『あ、革靴忘れちゃった。どうしようかな。いいや、爺やに持ってきてもらおうっと』と言うわけ、私の横で。『てめえ、何が爺やだ、コノヤロー』って。その爺やが彼の運転手なんだ。でも、私が激しい言葉でののしっても、さらりと受け止めるような雰囲気を持っているやつだった」(ヤクルトスワローズ 勝てる必然 負ける理由/小川淳司/さくら舎)
野村克也「アイツは何も考えとらん」
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放任主義の指揮官のもと、のびのび自由奔放にふるまう一茂だったが、その環境は監督交代で一変する。あの野村克也がヤクルト監督に就任したのである。考える“ID野球”を前面にプロとして戦う集団へと変貌する組織で、一茂は居場所を失っていく。3年目の1990年は自己ワーストの35試合の出場で、わずか1本塁打。すると、24歳で早くも「引退説」がマスコミを賑わすことになる。