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長嶋茂雄と巨人に憧れた18歳「外れドラ1確約」を裏切られ…“絶対入りたくない”中日ドラ2「アンタは顔で落ちた」母の冗談に山崎武司は笑った
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間淳Jun Aida
photograph bySankei Shimbun
posted2025/06/08 11:00
1986年11月、ドラフト会議で中日に2位指名された愛工大名電の山崎武司
予想していたように3球団の競合となり、巨人は交渉権を逃した。この時点で、山崎は「巨人入団」を確信した。ところが、想定していなかった名前を耳にする。巨人が外れ1位で指名したのは日大明誠高校の投手、木田優夫だった。
事前に聞いていた話と違って山崎は外れ1位で指名されなかったが、まだ心にはゆとりがあった。「2位指名でも構わない、巨人に入れるのであれば」。だが、再び裏切られる。巨人が指名したのは河合楽器の投手、水沢薫だった。
「絶対入団したくない」中日のドラ2指名
そして、山崎に“悲劇”が訪れる。中日に2位で指名を受けたのだ。
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「全12球団のうち、当時は絶対に入団したくない球団が3つありました。そのうちの1つがドラゴンズでした。入団を断って、社会人に進もうと考えました」
山崎は広島、南海、中日の3球団にネガティブな印象を持っていた。広島は「日本一練習が厳しい」、南海は「財布の紐が硬い」。地元以外の球団を望んでいた山崎の選択肢に中日も入っていなかった。
そのため山崎は社会人に進んで、3年後のドラフトで巨人からの指名を待つ道を選ぼうとした。愛工大名電の中村豪監督や両親とも話し合いを重ね、父親からは「ジャイアンツから求められる選手にならないといけない。そのために3年間、必死に頑張れ」と激励された。中村監督も「希望しない球団なら、必ずしも行く必要はない」と理解を示したという。
母が「顔で落ちたんじゃない?」
2025年6月3日、長嶋氏の訃報を受けて、山崎は〈いつまでもヒーローで雲の上の存在です〉、〈唯一おねだりをしました。今でも僕の唯一の宝物です〉と自身の「X」で、本人からサインをもらったミットの写真を投稿している。
※山崎氏の「X」より
少年の頃、それほどまで憧れたジャイアンツでプレーしたかった。ただ、プロ一本だった気持ちを社会人へ切り替えられるのか。山崎の心は揺れた。悩んだ末、出した結論は「中日入り」だった。高卒でのプロ入りに気持ちが傾いた山崎に対し、父親や中村監督も「最終的にプロでやるなら、ドラゴンズに入っても良いのではないか」と背中を押した。母親からも強烈な言葉で激励された。
「母親からは『ジャイアンツには顔の審査があるんじゃない? あんたは顔で落ちたんだよ』と言われました。顔で入団できないなら、3年待ってもジャイアンツに入れませんよね(笑)」
山崎は中日入団を決意した。同時に、目標を「巨人入り」から「打倒巨人」に修正した。
