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「ちょっと部屋来い!」本塁打王確定も星野監督から飛び蹴り…山崎武司が明かす“天才と凡人の差”「(福留)孝介は怖がってなかった」
posted2025/06/08 11:03

中日時代の星野仙一監督と福留孝介。山崎武司が見た“凡人との差”とは
text by

間淳Jun Aida
photograph by
Makoto Kemizaki/Takuya Sugiyama
えーわ、しばらく休んどけ
1996年。当時はオープン戦が終わってからシーズンが開幕するまでの期間にトーナメント戦が開催されていた。プロ10年目を迎えた山崎武司もシーズンの最終調整の場として、トーナメント戦に出場するつもりだった。しかし、オープン戦の日程が終了する頃、体に異変が起きる。
「脇腹を痛めてしまいました。バットを振れないくらいの痛み。せっかく20キロもダイエットしてオープン戦まで順調に来ていたのにショックでしたね」
あまりの痛みで練習も満足にできず、首脳陣に隠し通すのは難しかった。山崎は殴られる覚悟で、チームを率いる星野仙一に報告した。
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「すみません、脇腹が痛いです」
すると、指揮官から静かに質問された。
「どのくらい痛いんや?」
山崎が「バットを振れません」と答えると、星野からは「お前がそこまで言うなら、よっぽど痛いんやな。えーわ、しばらく休んでおけ」と予想に反する言葉が返ってきた。
山崎は10日間、一切練習せずに自宅で療養した。ブロック注射の効果もあって、脇腹の痛みはひいた。チームに合流してトーナメント戦の終盤から試合に出場。本塁打を連発し、首脳陣に万全な状態をアピールした。
大豊、松井と三つ巴の本塁打王争いに
迎えたシーズン開幕戦。山崎は左翼でスタメン出場した。その後も先発で起用されたが、シーズン序盤は相手投手によって愛甲猛と併用されるケースも多かった。レギュラー争いの明暗を分けたのは5月だった。山崎が記憶をよみがえらせる。
「岐阜の長良川球場で開催された試合で、スタメン出場した愛甲さんが1打席目に本塁打を打ちました。その一発を見て、『これは当分、愛甲さんが先発だな』と落ち込みました。ところが、急に大雨になって試合はノーゲーム。愛甲さんの本塁打は無効になりました。その時、自分にはツキがあると思いましたね」
愛甲の打撃は“幻の本塁打”以降、下降線をたどった。