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ぼくらのプロレス(再)入門BACK NUMBER
「猪木の顔を潰す気か?」タイガーマスク、前田日明…新間寿は名レスラーたちをいかに生み出した?“過激な仕掛人”がプロレス界に遺した功績
text by

堀江ガンツGantz Horie
photograph byAFLO
posted2025/05/20 11:01
新間寿の“仕掛け”によって生み出された初代タイガーマスク
復讐心を胸に動き出した“伝説の団体UWF”
その後、立場を失った新間寿が復讐心を胸に新団体設立に動き出す。それが伝説の団体UWF(ユニバーサル・プロレスリング)だった。
新間の当初の計画は、数人の先発部隊となるレスラーを率いて新日本から独立し、プロレス番組放送に興味を持っていたフジテレビと放映契約を結んだ上でタイガーマスク復帰を目玉に旗揚げ。そこに新間と同じくクーデターにより新日本内部で立場が微妙になっていた猪木を招き入れるというものだった。そしてその先兵隊のエースとして新間が選んだのが、当時25歳の前田日明。「俺もあとから行くから、先に行っておけ」という猪木の伝言を信じた前田は、新日本を退団し新団体に移籍。ここからUWFは始まる。
しかし旗揚げ前、新団体の“目玉”だったタイガーマスクは、テレビ朝日との独占契約が85年3月まで残っていたため、他局で試合を流すことが不可能と判明。これによってフジテレビのレギュラー放送の話が消滅。そしてフジの放送がなくなったことで、猪木も出る意味を失いUWFを見限った。
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こうして計画は頓挫し、新間は責任を取ってプロレス界引退を発表。UWFは発表された旗揚げシリーズだけ行ったあと再び新日本に吸収合併されるはずだったが、エース前田とフロント社員たちはそれを拒絶し自分たちだけで興行を続けることを決意。新日本の衛星団体となるはずだったUWFは独立独歩の道を歩むこととなる。
その後、UWFにはスーパー・タイガー(当初はザ・タイガー)と改名した佐山聡や藤原喜明、髙田延彦らが参加し、斬新な“格闘プロレス”を展開。これがのちに日本に総合格闘技興行が誕生する原点となった。
新間寿にとってUWFは“失敗”だったかもしれないが、この団体を生んだ歴史的な意義はあまりにも大きい。
全盛期のアントニオ猪木の数々のビッグマッチを実現させ、藤波辰爾、初代タイガーマスク、前田日明を世に送り出し、UWFを誕生させた新間寿。“過激な仕掛け人”はマット界に多大なる影響を残し、旅立っていったのだ。《前編とあわせてお読みください》
