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「一方的な大流血…地獄絵図」ウルフアロン新日本デビュー“45年前の悲劇”…大物ルーキー・谷津嘉章の初陣は、なぜ「史上最悪のデビュー戦」になったのか?
posted2026/01/10 11:00
国内デビュー戦でスタン・ハンセンにドロップキックを決める谷津嘉章
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堀江ガンツGantz Horie
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東京スポーツ新聞社
1月4日、新日本プロレスの東京ドーム大会『WRESTLE KINGDOM 20』で、2021年東京五輪柔道男子100キロ級の金メダリスト、ウルフアロンがプロレスデビューをはたした。
ウルフはデビュー戦で“極悪大王”EVILの持つNEVER無差別級王座に挑戦。長髪を坊主頭に刈り込み、柔道着を脱ぎ捨て、新日本伝統のストロング・スタイルの象徴であり、若手の“正装”でもある黒のショートタイツと黒のリングシューズ姿で登場すると、闘志むき出しでEVILに立ち向かい、ブレーンバスター、エルボードロップ、さらにこの日引退を迎えた棚橋弘至の得意技ハイフライフローを思わせるダイビング・ボディプレスなどを繰り出し、“プロレスラー”ウルフアロンをアピール。
途中、極悪軍団H.O.T(ハウス・オブ・トーチャー)の介入で窮地に追い込まれるが、最後は変形の三角絞めで逆転勝ち。大歓声の中、いきなりNEVER無差別級のチャンピオンベルトを腰に巻いた。その真摯にプロレスに取り組む実直な闘いぶりはファンにも受け入れられ、“満点デビュー”をはたしたと言っていいだろう。
大物ルーキー「史上最悪のデビュー戦」
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そんなウルフアロンの初陣から45年前、同じように大きな期待を寄せられ新日本プロレスに入団しながら、日本デビュー戦で地獄を見た大物アスリートがいた。レスリング・フリースタイルでモントリオール(76年)、モスクワ(80年)と2大会連続でオリンピック日本代表に選ばれ、“日本アマレス史上最強のヘビー級”と呼ばれた谷津嘉章だ。
谷津はプロレスブームが加熱し始めた1980年10月、アントニオ猪木、坂口征二両巨頭同席のもと、京王プラザホテルで記者会見をおこない新日本プロレス入団を発表。同年12月29日にニューヨークの殿堂マディソン・スクエア・ガーデンでデビューをはたし、華々しくプロレスラーとしてのスタートを切る。そして約半年間のアメリカでの武者修行を経て、81年6月24日蔵前国技館のメインイベントで猪木とタッグを組み、スタン・ハンセン&アブドーラ・ザ・ブッチャーという超大物外国人タッグ相手に日本デビュー戦をおこなった。
まさに超大物ルーキーにふさわしい大抜擢。しかし、試合はあまりにも凄惨なものとなった。谷津は、ハンセン&ブッチャーの超強力タッグに一方的に痛めつけられ額から大流血。ただただ断末魔の叫び声をあげるだけの地獄絵図が展開されて血の海に沈み、結局、何もできぬまま惨敗したのだ。谷津はあの日の悪夢を「あれは猪木さんにハメられたようなもんだよな」と振り返る。
なぜ、新日本期待の大物ルーキーの初陣は「史上最悪のデビュー戦」となってしまったのか。谷津嘉章の波乱のレスラー人生とともに振り返ってみよう。

