プロレス写真記者の眼BACK NUMBER
棚橋弘至49歳の引退はなぜ感動的だったのか? 報道陣が拍手した“ある言葉”…「ブーイングも浴びた」プロレスラー人生の最後に見た“超満員の東京ドーム”
posted2026/01/07 17:02
49歳の棚橋弘至は1月4日、超満員札止めの東京ドームで26年間の選手生活を終えた。ファンに別れを告げる「100年に一人の逸材」
text by

原悦生Essei Hara
photograph by
Essei Hara
棚橋弘至は1月4日、東京ドームに集まった4万6913人のど真ん中で引退の10カウントを聞いた。そして「ありがとう」の言葉とともに「愛してまーす!」を叫び、26年間のプロレスラー人生にピリオドを打った。
かつてはブーイングも…辿り着いた超満員の東京ドーム
棚橋のラストマッチの相手はAEWのオカダ・カズチカ。それは心に残る試合になった。
「2012年のレインメーカーショックからの戦いの中で、(オカダは)『レベルが違う』って言ってましたけども、本当にアイツはレベルが違うんですよ。今日もね、必死に食らいついていったんですけど。袂を分かっても、命を削り合って戦った仲間というのは、今日は僕の背中をしっかり押してくれました」
ADVERTISEMENT
ずっと願い、夢見ていた超満員札止めの東京ドームでファンから最大の「棚橋コール」を受けて、棚橋は何度も立ち上がった。レインメーカーを浴びても敢然とオカダに立ち向かった。
「いつの間にか、こんなに応援していただける選手になったんだな。もう本当に、いくらでも立ち上がれる。プロレスラーになりたくて、なりたくて、なりたくてね。3回目で新日本プロレスの入門テストに受かって、26年間いろんなことがありました。活きのいい若手になって、U-30(無差別級王座)があってね。いいことも、悪いこともあって。ブーイングもあったけども、たくさんの方にプロレスを見てもらう、楽しんでもらうっていうものをボクなりに作り出すことができた。そして、こうして最高の舞台でレスラー生活の幕を閉じることができました。出来すぎのプロレス人生でした」
そう語る棚橋はほっとしたようで、感慨深げでもあった。
2000年代、棚橋が良かれと格好を付けても、そのスタイルは“チャラい”と当時のファンには支持されなかった。5年間ほど辛辣なブーイングを浴び続けた。観客の動員数にはムラがあり、東京ドームの2階席は使用しないときさえあり、ドーム大会の存続さえ危ぶまれた。後楽園ホールでも空席が目立った。棚橋は大会のプロモーションに地方まで奔走していた。
「100年に一人の逸材」というキャッチコピーで大風呂敷を広げ、自らハードルを上げた。



