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「こんなところで浅尾を投げさせちゃ駄目です」中日監督・高木守道と衝突した日… “コーチ時代は沈黙貫いた”近藤真市56歳の本心「岩瀬を守れなかった」
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森合正範Masanori Moriai
photograph byNumber Web
posted2025/05/15 11:39
選手、コーチ、スカウトとして中日一筋のキャリアを歩んだ近藤真市。インタビューで明かした「心残り」とは
“マスコミ嫌い”の近藤が、なぜ話してくれたのか?
2022年、これまで何度も誘いを受けてきた岐阜聖徳学園大の硬式野球部監督に就任した。大学野球はあくまで部活動。挨拶と礼儀、基礎練習、攻守交代は全力疾走という基本を徹底する。
なるべく4年生を出場させ、誰よりも一生懸命練習する学生には背番号を与える。これは「情」の星野野球。
大学野球でも勝負に変わりはない。チーム事情は話さない。練習から選手を観察し、違和感があったら、ぼそっと話しかける。これは「観察」の落合野球。師である二人の野球を実践している。
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目標は「あそこの大学で野球をやりたい」と学生が集まってくること、そして、大学からプロ野球へ選手を送り出すことだ。近藤が育てた選手が中日に入団する日が来るかもしれない。
「中日に入ったら、談合でしょ、ってすぐネットに書かれますよ」
そう言って、穏やかに笑った。
2度の休憩を挟み、長いインタビューが終わった。私は取材前の率直な気持ちを伝えた。
――昨日、怖くて寝られませんでした。
「まったく話さなかったからな。現場のときはしゃべれませんよ、内部事情は」
――なぜ、きょうはこんなに話してくれたのでしょうか。
「もうプロに戻るつもりはないし。でも話してみたらこんなもんですよ。マスコミとか取材は嫌いだったけど、ようしゃべるでしょ」
――コーチ時代、本当なら話したいこと、伝えたいこともあったんじゃないですか。
「だから、すごいストレスですよ」
落合が監督から去っても、近藤はチームにいる限り、内部の情報を語らない。落合の教えをずっと守ってきたのだ。だから、報道陣にはぶっきらぼうに当たった。
「内部のことは一切しゃべりません。家でもしゃべりません。嫁にもしゃべりません」
当時、ナゴヤドームでの遮断するような、近藤の近寄りがたい雰囲気を思い出した。
別れ際、私の耳元でこうささやいた。
「ほら、もう、いつでも携帯に連絡してきてくださいよ」
最後まで近藤の丁寧語は耳慣れず、違和感が残ったままだった。
取材を終えて、外に出る。あれほど強かった風が、もう止んでいた。
左肩の真相、星野と落合への思い、岩瀬を守れなかった悔恨。なぜ、ここまで話してくれたのだろう。近藤なりの、あの頃の贖罪だったのか、それともたまたまタイミングが良かったのか。
帰りの新幹線の中で、ずっとそんなことを考えていた。

