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「こんなところで浅尾を投げさせちゃ駄目です」中日監督・高木守道と衝突した日… “コーチ時代は沈黙貫いた”近藤真市56歳の本心「岩瀬を守れなかった」 

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森合正範

森合正範Masanori Moriai

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posted2025/05/15 11:39

「こんなところで浅尾を投げさせちゃ駄目です」中日監督・高木守道と衝突した日… “コーチ時代は沈黙貫いた”近藤真市56歳の本心「岩瀬を守れなかった」<Number Web> photograph by Number Web

選手、コーチ、スカウトとして中日一筋のキャリアを歩んだ近藤真市。インタビューで明かした「心残り」とは

 結局、浅尾はマウンドに上がった。近藤のものさしで言えば、選手を守ることはできなかった。試合後、ロッカールームに行き、浅尾に謝った。

「悪かったな。俺のことが嫌だったら、ユニホームを脱いでくれ、って言えよ。いつでも辞めるから」

 日本最多セーブ記録を持つ岩瀬仁紀が「抑え」を任されず、中継ぎとなり、2018年にはビハインドの場面で登板することも増えていった。近藤自らスカウトし、誰よりも岩瀬を間近で見てきた。

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「もし抑えが駄目ならユニホームを脱ぎます、って自分で言いますよ。岩瀬が自分で決断しますよ」

 監督の森繁和に何度か進言した。だが、チームが勝つため、また前人未到の1000試合登板の記録達成のため、クローザーとして終わらせてあげることができなかった。岩瀬を守ってあげることができなかった。

 信念である「選手を守る」。それができず、一番大切な岩瀬を守れなかった。

 2018年シーズンを終え、ユニホームを脱ぐことを決めた。

見せたことのない“寂しい表情”で…岩瀬仁紀への思い

――選手、コーチと計24年、ドラゴンズのユニホームを着ました。
「その最後、岩瀬を守れていないところが一番の心残り。岩瀬は、クローザーできなかったらもう辞めます、ってたぶん言っていたと思うんですよ。岩瀬に自分で決断させてあげられなかった。岩瀬の後ろに(抑えの)ピッチャーをつけます、って、やっぱりプライドもあっただろうし。そこはめちゃくちゃ……。申し訳なかった、って岩瀬に言いました」
 おかしいと思えば監督に突っかかり、自分が間違っていたと思えば選手に素直に謝る。誰に対してもまっすぐ。それが近藤の生きざまだった。
――1000試合登板の記録もかかっていました。
「森さんもいろいろチームとして、編成として、どうしていくかを考えている。だから、森さんが悪いとは思わない。僕がもっともっと強く言えばよかった。岩瀬にメールをしましたよ。元の関係に戻れたらいいね、って」
――岩瀬さんも近藤さんに対するわだかまりがあったのでしょうか。
「あったと思いますよ」
――守ってくれなかった、ということですか。
「だって僕が獲った選手ですもん。一番守ってほしかったんじゃないですか。僕に……」
 近藤はそう語り、これまで見せたことのないような寂しい表情でそっと下を向いた。

 ユニホームを脱ぎ、再びスカウトに就いた。

 2019年ドラフト1位の石川昂弥、4位の郡司裕也、2020年1位の高橋宏斗らを担当した。投手、スカウト、投手コーチ、再びスカウト。ドラゴンズ一筋でプロ野球人生を全うした。

【次ページ】 “マスコミ嫌い”の近藤が、なぜ話してくれたのか?

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