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「クビにしたいんですよね?」中日の伝説的ルーキーが26歳で“早すぎる引退”「みじめになりますよ」…星野仙一が言った「ピッチャーの近藤真市で終われ」
posted2025/05/15 11:37

左肩を壊し、プロ8年目で投手として限界を迎えた近藤真市。星野仙一の「ピッチャーの近藤で終われ」という言葉で現役引退を決めた
text by

森合正範Masanori Moriai
photograph by
Kazuhito Yamada
痛み止めを打って投げた“プロ生活最後の勝ち星”
左肩を痛めてから、約2カ月ぶりに登板の機会が訪れた。1988年10月7日、ヤクルト戦の8回2死。優勝を決める試合だった。
監督の星野仙一が告げた。
「ピッチャー、近藤!」
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代打の平田薫を三飛で打ち取り、マウンドを降りた。
優勝試合で、星野はその年に貢献した投手を起用した。中継ぎでフル回転だった鹿島忠、上原晃、鈴木孝政に混じって、近藤が投げ、抑えの郭源治へとつないだ。星野からのご褒美。近藤は素直に嬉しかった。
翌日。祝杯でどんちゃん騒ぎをした先輩たちはアルコールが抜けずに投げられない。寮組の川畑泰博が先発し、近藤が後ろを任されると決まっていた。4イニングを投げて1安打無失点。勝ち投手になった。
この日、痛み止めを打って投げた。一時的に痛みはない。だが、これが悪影響を及ぼした。結果的に、近藤のプロ生活最後の勝ち星となった。
一人消え、二人消え…離れていった取り巻き
3年目の春季キャンプ後。近藤はアメリカへ飛び、名医フランク・ジョーブ博士に左肩を診てもらった。
「あと2、3年で野球を辞めるなら、痛み止めを打ちながらでもいいが、続けるならすぐにオペをしたほうがいい」
左肩の関節を包む膜が伸び切って破れていた。投げるたびに神経に当たり激痛を伴った。手術をすれば1年以上棒に振る。だが、左肩にメスを入れるしかなかった。
ノーヒットノーランの鮮烈デビューから1年半。天国から地獄へ。近藤の周りに集まってきた人たちが、一人消え、二人消え、だんだん去っていく。良い時は寄ってくる。だが、いざこうなると離れていく。本当に信頼できる人だけが残った。
愛知県内でリハビリのプログラムを和訳してくれる医師。全面協力してくれたトレーナー。いつか来る日を夢見て、病室にはユニホームを置いた。それを眺めてリハビリに励む。
近藤には一つ、大きな目標ができた。
肩の手術後、以前のように活躍した投手はいない。これからメスを入れる選手のため、復活を遂げて手本になることを心に誓った。