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「クビにしたいんですよね?」中日の伝説的ルーキーが26歳で“早すぎる引退”「みじめになりますよ」…星野仙一が言った「ピッチャーの近藤真市で終われ」

posted2025/05/15 11:37

 
「クビにしたいんですよね?」中日の伝説的ルーキーが26歳で“早すぎる引退”「みじめになりますよ」…星野仙一が言った「ピッチャーの近藤真市で終われ」<Number Web> photograph by Kazuhito Yamada

左肩を壊し、プロ8年目で投手として限界を迎えた近藤真市。星野仙一の「ピッチャーの近藤で終われ」という言葉で現役引退を決めた

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森合正範

森合正範Masanori Moriai

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Kazuhito Yamada

「ピッチャーの近藤真市で終われ」。星野仙一の言葉で引き際を悟った近藤は、26歳という若さで引退を決断する。プロ初登板でノーヒットノーランを達成した後に味わった、“絶頂から落ちていく現役生活”の苦痛とは。かつてのスーパールーキーの挫折に迫った。(全5回の3回目/4回目へ)※文中敬称略、旧登録名は「近藤真一」

痛み止めを打って投げた“プロ生活最後の勝ち星”

 左肩を痛めてから、約2カ月ぶりに登板の機会が訪れた。1988年10月7日、ヤクルト戦の8回2死。優勝を決める試合だった。

 監督の星野仙一が告げた。

「ピッチャー、近藤!」

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 代打の平田薫を三飛で打ち取り、マウンドを降りた。

 優勝試合で、星野はその年に貢献した投手を起用した。中継ぎでフル回転だった鹿島忠、上原晃、鈴木孝政に混じって、近藤が投げ、抑えの郭源治へとつないだ。星野からのご褒美。近藤は素直に嬉しかった。

 翌日。祝杯でどんちゃん騒ぎをした先輩たちはアルコールが抜けずに投げられない。寮組の川畑泰博が先発し、近藤が後ろを任されると決まっていた。4イニングを投げて1安打無失点。勝ち投手になった。

 この日、痛み止めを打って投げた。一時的に痛みはない。だが、これが悪影響を及ぼした。結果的に、近藤のプロ生活最後の勝ち星となった。

一人消え、二人消え…離れていった取り巻き

 3年目の春季キャンプ後。近藤はアメリカへ飛び、名医フランク・ジョーブ博士に左肩を診てもらった。

「あと2、3年で野球を辞めるなら、痛み止めを打ちながらでもいいが、続けるならすぐにオペをしたほうがいい」

 左肩の関節を包む膜が伸び切って破れていた。投げるたびに神経に当たり激痛を伴った。手術をすれば1年以上棒に振る。だが、左肩にメスを入れるしかなかった。

 ノーヒットノーランの鮮烈デビューから1年半。天国から地獄へ。近藤の周りに集まってきた人たちが、一人消え、二人消え、だんだん去っていく。良い時は寄ってくる。だが、いざこうなると離れていく。本当に信頼できる人だけが残った。

 愛知県内でリハビリのプログラムを和訳してくれる医師。全面協力してくれたトレーナー。いつか来る日を夢見て、病室にはユニホームを置いた。それを眺めてリハビリに励む。

 近藤には一つ、大きな目標ができた。

 肩の手術後、以前のように活躍した投手はいない。これからメスを入れる選手のため、復活を遂げて手本になることを心に誓った。

【次ページ】 落ちていく序列…心に響いた落合博満の“ある言葉”

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