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「クビにしたいんですよね?」中日の伝説的ルーキーが26歳で“早すぎる引退”「みじめになりますよ」…星野仙一が言った「ピッチャーの近藤真市で終われ」
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森合正範Masanori Moriai
photograph byKazuhito Yamada
posted2025/05/15 11:37
左肩を壊し、プロ8年目で投手として限界を迎えた近藤真市。星野仙一の「ピッチャーの近藤で終われ」という言葉で現役引退を決めた
初登板での快挙「やっちゃいけなかった」の真意
――現役を振り返れば、プロ初戦がノーヒットノーラン。3戦目が1安打完封。高校卒のルーキーが鮮烈なデビューでしたよね。
「あれからね、めちゃくちゃプレッシャーですよ。だからね、やっちゃいけなかった。やっちゃいけない。いまだに思っていますよ」
言葉に感情がこもる。それは近藤にしかわからない重圧だった。
――やっちゃいけない……。
「プロ野球って、そんな甘いもんじゃない。自分の中で重荷になる。その後、結果が出なくてみじめになる。現役の間はずっとプレッシャーでしたから」
――いつくらいからそう思ったのでしょうか。
「当初は思わないですよ。それが手術をしたり、得意のカーブを投げても、あのときと軌道が違う。スピードも出ない。思い通りに投げられないじゃないですか。そうなったときに、やっちゃいけなかった、って思いますよ」
初登板が絶頂。そこから登りようがない。下っていく一方だった。
2022年4月10日、ロッテの佐々木朗希がオリックス戦で完全試合を達成した。プロ3年目、20歳の快挙。続く試合でも8回まで一人の走者も許さず、マウンドを降りた。
――18歳の近藤さんと20歳の佐々木投手。二人の輝きは少し重なりますね。
「佐々木投手は完全試合ですからね。あれが、重荷にならなきゃいいな、と思いました。そういう目で見られるから。メジャーに行って正解ですよ。日本にいてもね、いずれだんだん衰えてきたときにみじめになりますよ」
話を聞きながら、頭の片隅では、なぜ、私なんかに、ここまで話してくれたのだろう、とずっと考えていた。
近藤は引退し1995年に打撃投手兼スコアラーを務めたが、その年のオフに第二次星野政権が発足した。
「スカウトになれよ」
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これもまた星野の導きだった。その際、一つ助言をされた。
「選手を獲るのも大事だけど、もっといろんな野球を見て勉強しろよ」
近藤は愛知・享栄高と中日ドラゴンズの野球しか知らなかった。四国、中国、千葉、神奈川、東海地方と各地を回り、大学や社会人、高校で強豪と言われる横浜や東海大相模の練習を目の当たりにした。
スカウト3年目の1998年から屈指の左腕、NTT東海(当時)の岩瀬仁紀に張り付いた。
「獲れるまで帰ってくるな!」
星野からそう言われ、逆指名にこぎつけた。近藤は岩瀬にお願いし、かつて着けていた背番号「13」を背負ってもらった。最も思い入れの深い選手となった。

