プロ野球PRESSBACK NUMBER
「クビにしたいんですよね?」中日の伝説的ルーキーが26歳で“早すぎる引退”「みじめになりますよ」…星野仙一が言った「ピッチャーの近藤真市で終われ」
text by

森合正範Masanori Moriai
photograph byKazuhito Yamada
posted2025/05/15 11:37
左肩を壊し、プロ8年目で投手として限界を迎えた近藤真市。星野仙一の「ピッチャーの近藤で終われ」という言葉で現役引退を決めた
「クビにしたいんですよね? 僕の口から言ってほしいんですよね。わかりました。秋季キャンプに連れて行ってください。そこでシート打撃に登板して、自分で判断しますから」
「ああ、わかった」
球団本部長はそう言って、名古屋へ帰った。
星野仙一が言った「ピッチャーの近藤真市で終われ」
ADVERTISEMENT
近藤は秋季キャンプの地、沖縄・石川球場のマウンドに上がった。シート打撃では昔から仲がいい年長の清水雅治、松井達徳らが揃っていた。
全力で投げた。だが、弾き返された。近藤の心の中で結論が出た。自ら決めたことだった。
「打っちゃってごめんな」
あとから事情を知った彼らに謝られた。
すると、監督の高木守道から呼び止められた。
「おまえ、打撃いいよな。ちょっと室内に行って、バッティングしてこい」
野手転向の勧めだった。26歳から野手なんて……。そう思いつつ、ヘッド兼打撃コーチの徳武定祐と室内練習場へ行き、近藤はバッティングを始めた。
近藤が打っている、その横で徳武は椅子に座りながら目を瞑っていた。打者として期待されているのか、それとも本意ではないのか。すぐに察知した。もう辞めよう。
夜、星野に電話をした。いつも「おやじ」に助言を仰いだ。
「もうピッチャーとしては無理です。野手としてやれ、と言われています。監督、どう思われますか」
すると、星野は言った。
「ピッチャーの近藤で終われ。誰にもできない、ああいう記録をつくったんだ。ピッチャーの近藤真市で終われ」
「わかりました。ありがとうございました」
5球団競合のドラフトでくじを引いたのも、初登板初先発に抜擢したのも星野だった。肩を手術した後も一軍に呼んでくれた。「ピッチャーの近藤で終われ」。星野にそう言われ、心の霧が晴れた。
1994年11月16日、新聞の1面に「近藤引退」と報じられた。
現役生活8年、通算成績は12勝17敗、防御率は3.90。実質活躍したのは2シーズンにも満たなかった。デビューイヤーは閃光の如く輝き、その後、故障に苦しんだ。栄光よりも挫折の長いプロ野球人生だった。
肩にメスを入れる選手たちの手本にはなれなかった。
それが唯一の心残りだった。

