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日本トップハードラーが“産後2年”でラグビー選手に? 女子陸上・寺田明日香が振り返る「異例の転身」のウラ側…直面した「アスリートの保活問題」
text by
荘司結有Yu Shoji
photograph by(L)Yuki Suenaga、(R)JIJI PRESS
posted2024/11/22 11:02
23歳で陸上競技を引退後、結婚・出産を経て26歳で“まさかの”ラグビー挑戦を表明した寺田明日香。トップハードラー時代から価値観の変化があったという
その後、寺田は2014年3月の結婚とほぼ同時に早大人間科学部に進学。8月には長女・果緒ちゃんを出産し、通信課程で幼児体育を学びながら、会社に勤めた。スポーツは好きだけど、少し離れて眺めるくらいがちょうどいい。現場からは離れていくつもりだった。
ところが、ひょんな縁で人生が転がっていく。
2016年、佐藤さんが関わる長崎でのスポーツイベントに同行した。ゲストとして参加していたのが、元陸上選手のラグビートレーナーだった。
「当時はリオ五輪が終わった直後で、女子のセブンズは12チーム中10位と苦戦しました。これなら正直、寺田にもまだチャンスがあるのでは?と思っていて。あくまで雑談ベースで話していたら、そのトレーナーが『まだ全然間に合うよ』と彼女の背中を押してくれたんです」(佐藤さん)
3年前には泣くほど転向を拒んだ寺田だが、その勧誘はスッと受け入れられたという。彼女を変えたものは何だったのだろうか。
「陸上をやっていた頃は『結果が出ない選手は、人間としての価値がない』と思うほど自分を追い詰めていたんですよね。でも、娘が生まれて、会社で働くようになったら、選手時代を知らない人たちとの関わりも増えていくじゃないですか。
色々助けてもらうこともあれば、逆に私が返せるものもあって、ちょっとずつ『自尊心』が回復していきました。選手じゃなくても、一人の人間として認めてくれる人たちもいるじゃんと思ったときに、スポーツの見方が変わったんですよね」
結婚・出産を経て起きたスポーツへの「価値観の変化」
スポーツは、人生のすべてじゃなくて、人生を豊かにするための「ツール」だったんだ――そう価値観が変わった。
「もう一度誘われたとき、『オリンピックを目指そう』と言ってもらえる人が果たして何人いるのだろうと考えたんです。チャンスをもらえる人自体が限られていて、その誘いについていける人もそう多くはない。何度もチャンスがもらえるなら、やらなきゃ後悔するだろうなって」
決意してからは早かった。トレーナーのもとに週1、2回のペースで通い始め、基礎トレーニングを受けるように。食事を見直し、ラグビーに適した身体になるため増量した。
そして3カ月後、日本代表トライアウトに合格し、年明けから日本代表練習生としてチームに合流することになる。