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日本トップハードラーが“産後2年”でラグビー選手に? 女子陸上・寺田明日香が振り返る「異例の転身」のウラ側…直面した「アスリートの保活問題」
text by
荘司結有Yu Shoji
photograph by(L)Yuki Suenaga、(R)JIJI PRESS
posted2024/11/22 11:02
23歳で陸上競技を引退後、結婚・出産を経て26歳で“まさかの”ラグビー挑戦を表明した寺田明日香。トップハードラー時代から価値観の変化があったという
寺田は振り返る。
「幼い頃の娘は本当に手がかからなくて、駄々をこねることもほとんどなかったんです。むしろ、私のほうが置いていくのが心苦しかった。ある合宿に行く前の夜に、『ママ、全然家にいなくてごめんね』って泣いちゃったんですよね。そしたら娘が『カオの仕事は保育園、ママの仕事は練習。だから泣かないで』って言ったんです」
佐藤さんも「この話、なかなか信じてもらえないんですけれど」とこう続ける。
「娘が泣いている彼女の目を拭いて、ヨシヨシって頭を撫でたんですよ。すごく感動しましたし、この家族ならやっていけるなって思ったんです」
現在の夫婦の役割分担を聞くと、料理や掃除は寺田、それ以外の家事や習い事の送迎、中学受験の準備は佐藤さんが担っているという。
「僕が支えるのはあくまで彼女の競技であって、家のことは手伝うというより、一緒にやるのが当たり前だと思っています。どっちでもできることは僕がやるスタンスなのですが、彼女なりのこだわりもいっぱいあるので、少しずつその領域を広げているところです」(佐藤さん)
「彼は察するのが無理なタイプなんですよね。私にしかできないこともあるので『少しずつできるようになってほしいな~』という圧をかけています(笑)。でも、それぞれ得意なことを担いながら、バランスは取れていると思いますね」(寺田)
「家族でオリンピックを目指す」モチベーション
ラグビー時代から、果緒ちゃんを試合会場に連れて行くのは佐藤さんの役目。スタンドから見守る娘の存在が、寺田の大きな原動力だった。
「家族みんなでオリンピックを目指しているのだから頑張らなきゃというモチベーションは、1回目の陸上時代にはなかったものでした。娘はもう私がラグビーをやっていたのを覚えていないんじゃないかな……でも、冗談で『ラグビーやろうかな』と言うと『やだやだ!』って全力で止められるんです。多分、私の怪我の記憶だけが残っているんでしょうね」
寺田の言う怪我とは、先述した右足腓骨の骨折のこと。半年間の離脱を余儀なくされ、東京五輪への道は大きく遠のいた。このままラグビーを続けるのか、再びアスリート人生を終えるのか。
悩んだすえに思いついたのは、「陸上の世界に戻る」という第三の選択肢だった――。
<次回へつづく>