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“箱根駅伝で6位激走”日本学連選抜の執念…極寒の旭川で走り続けた大学院生の証言「地方にはスポットが当たらない」12月の合宿で起きた“ある事件”

posted2026/01/30 11:31

 
“箱根駅伝で6位激走”日本学連選抜の執念…極寒の旭川で走り続けた大学院生の証言「地方にはスポットが当たらない」12月の合宿で起きた“ある事件”<Number Web> photograph by Sankei Shimbun

2004年の第80回箱根駅伝で日本学連選抜チームのアンカーを任された片岡祐介。当時は北海道教育大旭川校の大学院に通う修士2年生だった

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小堀隆司

小堀隆司Takashi Kohori

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Sankei Shimbun

2004年の第80回箱根駅伝。この記念大会で歴史上ただ一度だけ編成された「日本学連選抜チーム」は、オープン参加ながら総合6位相当のタイムで箱根路を駆け抜けた。本来、箱根駅伝を走るはずのなかった全国各地の学生ランナーたちは、なぜ誰もが驚くような快走を見せることができたのか。当時のメンバーの証言から、“寄せ集め集団”がひとつのチームになるまでのドラマに迫った。(NumberWebノンフィクション/全5回の2回目)※文中敬称略

極寒の旭川で走り続けた“北の雄”

 降って湧いた「箱根駅伝を走るチャンス」に、片岡祐介は本気で懸けてみたいと思っていたのだろうか。そんな疑問を本人にぶつけると、当時、北海道教育大旭川校の大学院に通う修士2年生だった片岡は太い声で笑ってみせた。

「いや当然、北海道の大学に進んだ時点で箱根は頭になかったですよ。ただ、高校時代に道内で戦っていた同級生に金子(宣隆)という男がおりまして、彼が大東大に進んで山下りですごく活躍(3、4年時に箱根駅伝6区で区間賞を獲得)したんです。わりと仲が良かったので、彼の活躍を見るたびに嬉しいやら悔しいやらで……。すごく複雑な気持ちでしたね」

 その複雑な感情が、片岡に奮起を促した。「地方で活躍した一選手で終わっていいのか」と自らに問いかけ、NOの答えを導き出すと、大学3年の頃から陸上に本気になった。1年の半分近くを雪に閉ざされる北の大地で、朝1時間、夕方2時間の走り込みをほぼ毎日欠かさなかったという。

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「冬はね、週1回は札幌に行って、室内で走れるところでやるんです。でも、交通費も施設代もすべて自腹でしょ。行けないときは仕方がないので、雪道を3時間走ったり。関東の大学に質で勝てないなら、量だけでも勝とうって。旭川の朝は本当に寒いので、タイツ履いて、ジャージ着て、その上にウインドブレーカーを2枚重ねて着るんです。靴下も2枚。だから、シューズも冬だけはワンサイズ上げて買ってましたね」

「出雲駅伝に出ても、地方にはスポットが当たらない」

 いわゆる遅咲きの選手だったのだろう。大学4年になってさらに記録が伸びると、片岡は実業団入りを意識するようになる。大学院に進学したのは、こんな理由からだった。

「もう自分の未来を陸上につなげたいだけ。たとえ出雲駅伝とかに出ても、地方にはスポットが当たらないんですよ。いくら全日本インカレで良い成績を挙げても、話題は関東の選手に持っていかれる。じゃあどうすれば実業団に入れるんだと。そんな時に、箱根の全国化の話を聞いたんです。たしか、M1の時でしたかね。僕だって機会さえあれば走れるんちゃうかなって思ってました」

【次ページ】 候補メンバーが自己ベストを連発…鬼気迫る記録会

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