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ぶら野球BACK NUMBER
巨人・落合博満41歳が猛批判「はっきり言って、原辰徳」“落合vs原”…30年前オフにバチバチの論争「原がしっかりしてたら巨人移籍なかった」
text by
中溝康隆Yasutaka Nakamizo
photograph byKYODO
posted2024/10/29 11:01
巨人1年目の契約更改のとき、落合博満は41歳。年明け1995年1月13日に現状維持=4億500万円でサインした
「年? 関係ないね。オレは15歳から20歳まで、野球を(満足に)やってなかったからね。だから、5歳は若いと思ってるんだ」(週刊読売1995年1月1日号)なんてうそぶく一方で、文化放送で徳光和夫アナウンサー相手に「自分は必ずしも四番にはこだわっていないけれど、ただ、広沢や新外国人にはそう簡単には渡しませんよ。広沢は確かにヤクルトの四番には座っていたけれど、威圧感という面ではまだ全日本の四番にはなっていない」とライバルたちを牽制する。
異例の“ひとり50日間キャンプ”
2月1日の宮崎キャンプインを無事迎えると、ランニングやフリーバッティングの投手役を務めるなど独自のメニューでマイペース調整を続け、2月20日の長嶋監督の59歳の誕生日にエア・テント内でバッティングを開始した。3月2日に一軍本隊がキャンプを打ち上げ本格的にオープン戦が始まっても、落合は二軍とともに宮崎残留。3月21日の東京ドームで行われるダイエー戦のチーム合流を条件に、異例の“ひとり50日間キャンプ”を敢行した。
樋沢良信二軍内野守備コーチ、斎藤トレーナーらとともに落合が信頼する打撃投手の岡部憲章も付き合い、宮崎で背番号6相手にひたすら投げ続けた。実は岡部は阪神を自由契約となった1989年オフ、「ウチへ来ないか? ただし選手としてじゃないんだけれど」と巨人の現役選手から声をかけられ、打撃投手に転身していた。その選手とは、東海大相模高の同級生・原辰徳である。
複雑に絡み合う男たちの野球人生――。前年に日本一という結果を出した移籍2シーズン目、遠慮なく我が道を行くオレ流落合。プロ3年目を迎えるゴジラ松井、そしてマック、広沢、ハウエルら補強組の四番争いでマスコミは盛り上がったが、ファンの反応は意外なものだった。
ファン投票の結果「落合は2位だった」
プロレスラーの高田延彦がキャスターを務めるフジテレビ『スポーツWAVE』の中で、「今夜決定!!『’95こいつが栄光の巨人軍4番打者だ!!』」という視聴者参加のテレゴング(電話アンケート)が行われたのだ。