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甲子園の風BACK NUMBER
根尾昂、藤原恭大…大阪桐蔭“黄金世代”を「最も追い詰めた」“偏差値68”府立高監督がなぜ野球インフルエンサーに?「学校に迷惑をかけましたし…」
text by
清水岳志Takeshi Shimizu
photograph byHideki Sugiyama
posted2024/08/18 11:00
4人がプロ入りした2018年の大阪桐蔭。甲子園春夏連覇の偉業とも相まって「黄金世代」と言われるが、府立高に苦しめられた一戦もあった
2020年1月に発信を始め、フォロワーは徐々に増えていって全国の監督、指導者、メディア関係者らが加わっていった。新聞、web記事、単行本に取り上げられた。フォロワー数は2年間で1万人に達した。
その後、2020年10月に新しいアカウントに切り替えて23年に1万人、24年6月に1万5000人、そして現在は1万7000人にフォローされている。これは一私人としては異例の速さと多さ。インフルエンサー的な存在になったと言ってもいい。
高校球界で公立の部員は合同チームが増えるなど減る一方だが、寝屋川は伝統校で地域での人気校。野球部員も当時で60人ほどがいて府内公立では有数の部員数を誇る。
達と寝屋川は順風満帆、さらに上を目指す下地は固まりつつあったかに見えた。ところが、本人の言葉を引用すれば「母校に対する特別な感情からくる完全に間違えた行動」を起こしてしまう。
人気インフルエンサーにもなった監督が…まさかの事態
部活以外の時間に生徒を注意したときの行為が体罰とされた。行為そのものは21年秋だったが、高野連から処分が下ったのが22年春。3カ月間の高野連の処分は経たが、学校の内部では監督復帰に時間がかかった。復帰のタイミングが何回か延び、正式に復帰したのが23年の1月だった。
しかし、復帰して間もなく、その23年度の3月に異動という結末を迎える。
「学校に迷惑をかけましたし、私的にも問題を抱えることになったので、異動希望を出しました」
達本人はそういう。しかし、本音はどうか。達を慕って難しい試験を突破して部員は集まってきていたし、本人も母校の監督としていつかは甲子園に出ることを夢見ていたはずだ。同校には“達さんの野球を勉強したい”という顧問もいた。意図的に異動させられた、という監督仲間もいた。
23年3月末、寝屋川での最後の練習試合を大阪万博球場で見た。部員の父兄も大勢集まり、最後のユニフォーム姿を目に焼き付けていた。
「持ってる知識のすべてを今日、授ける」
そう言って盗塁の技術、守備連係など細かく生徒に指示していた。最後のミーティングで部員から花束を贈られた。一部の部員は涙が止まらなかった。
最後の1年、達は夏の大阪大会の試合を観に行かれなかったし、日々、グラウンドに出ることもなかった。生徒は達の元で高校野球をやりたいと入学した者ばかり。そういう生徒に対して「可哀そうな思いをさせたかも」という言葉を聞いていただけに、非情さを感じた。
達は23年春、都島工業高校に異動した。
都島工は大阪市のほぼ中央、都島区に1907年に大阪市立として創立された。そして2022年に大阪府に移管され府立になった。ちなみに城東、淀川などのもともとの府立の工業高校は城東工科、淀川工科などと名称を変えている。