なでしこジャパンPRESSBACK NUMBER
なでしこDF北川ひかる「このタイミングで…」五輪直前にケガ→美しいFK弾まで諦めず、“涙の米国戦”から前を向くワケ「また強くなりますよ」
text by
NumberWeb編集部Sports Graphic Number Web
photograph byNaoki Morita/AFLO
posted2024/08/13 06:02
五輪直前にケガを負った北川ひかるだったが、ナイジェリア戦での鮮やかなFKなど、被災地となった故郷への想いを乗せてパリ五輪でプレーした
2024年元日に発生した能登半島地震の復旧・復興に力を尽くす地元・石川県への想いである。
実際、負傷したガーナ戦後にもファンサービスでボールを投げ込む振る舞いを見せた北川は、このようにも語っている。
「震災があって、元気やパワーを届けたいという気持ちはもちろんありました。ガーナ戦で怪我をしてしまいましたが、フランスへ連れて行ってもらえることがまずありがたかったし、可能性がある限り復帰して自分のプレーを出そうと思っていました。
その中でもわかりやすい、得点やアシストで活躍する姿を見せられればそういったものを届けられると思っていましたし、そういう意味でもナイジェリア戦でゴールを決められたことで自分の想いを伝えられたかなと思います」
涙のアメリカ戦…一方で「あの頃と違って戦えるな、と」
美しいFKでのゴールで一躍注目を集めた北川だが――結果的に最も間近で、なでしこジャパンのパリ五輪の終焉を決定づけられる瞬間に直面することになった。
アメリカ戦で、自身がマッチアップしたロッドマンにかわされると、決勝点を決められた。その1点によって、チームは敗れた。
「自分の弱さが出てしまったことで次に繋げられず、すごく申し訳ない」
こう唇を噛んだ北川は、帰国時の取材対応で人目をはばからず涙を流した。
それでも決して下ばかりを向いているわけではない。初めてのオリンピックでアメリカという強豪と対峙したからこそ、見えた世界がある。
「19歳の時になでしこジャパンに初めて選出されて、その年にアメリカと対戦しました。もうボコボコにやられて、その時の悔しさをいまでも覚えているんですよね。そこから7年経って今回対戦して、少なくともあの頃とは違って『戦えるな』と思ったんです。この相手とこの先もう一度対戦した時に、いつかは対等にやれる自分がいるだろうなというのが現実的に見えた。それがここから何年先になるかはわからないですけど、自分が思うそのレベルに達することができればいいなと、いまはそう思っています」
前に進もうとしている自分がいるし…
北川が前向きに語るように――アメリカ戦翌日の選手たちはどこか晴れやかに、わずかに残されたパリでの時間を思い思いに過ごした。