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「まさか日本代表になるなんて」男子バレー小野寺太志の母が語る“身長2mの野球少年”がバレーボールに出会うまで「太志は昔から器用貧乏で…」 

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田中夕子

田中夕子Yuko Tanaka

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photograph byL)Naoya Sanuki/JMPA

posted2024/07/29 17:04

「まさか日本代表になるなんて」男子バレー小野寺太志の母が語る“身長2mの野球少年”がバレーボールに出会うまで「太志は昔から器用貧乏で…」<Number Web> photograph by L)Naoya Sanuki/JMPA

中学まで野球に夢中だった小野寺太志(28歳)。高校からバレーボールをはじめ、日本代表まで上り詰めた

 地元・宮城県名取市は野球が盛んな土地柄だったこともあり、小学3年生から近所のスポーツ少年団で野球を始めた。ただ、両親は揃ってバレーボール経験者。ましてや、いく子さんは1981年から89年まで富士フイルムの実業団チームでプレーし、主将を務めた経験がある。同級生と比べて頭一つ大きかった息子にバレーボールを勧めてもおかしくなかった。だが、母が息子にバレーボールをやらせなかったのには、理由があった。

「私自身が両膝を壊したり、結構しんどい思いをしたというか、ハッキリ言えばバレーボールを嫌いになって現役を終わったんです。引退した後は膝がボロボロだったのもあるけれど、完全にバレーとは一線引いちゃった。自分がやるどころか、見るのも嫌だったので、試合も一切見ませんでした」

 そんな母の思いに沿うように、太志は野球に夢中になっていった。中学入学時に178cmに到達。野球界でも当然、有望株だった。

「太志は三振かホームランでいいぞ」

 中学時代に所属した野球部はボール練習よりもランニングが中心。1年時は学校の外周コースを走ることを課せられ、身体はどんどん絞られた。そのまま野球を続けていたらプロになれたかもしれないですね――そう投げかけると、いく子さんが笑いながら否定する。

「太志は昔から器用貧乏だったんです。走るのは遅かったから、監督から『太志は三振かホームランでいいぞ』と言われていました。なのに、バットに当てることができちゃうから、ヒットを打っちゃう(笑)。でも、出塁しても太志の足が遅いから次の子が打ってもホームインできなくて。監督からはずっと『ヒットは勘弁してくれ』と言われていました(笑)」

 プロ野球選手への道は険しくとも、好きな野球を続けてくれればいい。家族はそう思っていた。しかし、周囲の考えは少し違った。それもそのはず、身長はさらに伸び続けて中学3年間で2mに達しようとしていた。足が遅いといっても、水泳経験もあり、父・学さんも高校、大学までバレーボール選手だったと聞けば、サラブレッドだということはすぐにわかる。

 そんな太志に目をつけたのは、父の母校・東北高校だった。

【次ページ】 周囲を巻き込んだ“バレーボール勧誘計画”

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