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《サッカー五輪代表から消えた天才》悲劇は小野伸二や小倉隆史の大ケガだけでなく、少なすぎ18人枠で…名パサーや守護神「逸材の落選後」
text by
生島洋介Yosuke Ikushima
photograph byKoji Asakura
posted2024/07/03 11:00
小野伸二はケガの影響でシドニー五輪代表には選ばれなかった。彼以外にも多くの逸材が18人枠から漏れた過去がある
「オリンピックはプラスになることばかりなんでしょうね。いや、そうしないといけない」
当時の日本代表選手にとって、五輪はキャリアの中でとても大きな位置づけだったことがわかる。
なお、当時は五輪代表に縁のなかった鈴木隆行や西澤明訓、福西崇史らも76年生まれのアトランタ世代。98年フランス大会は逃したが、02年日韓大会でW杯メンバーとなる。
シドニーで外れたのは小野以外も豪華だった
【2000年:シドニー五輪】
〈シドニー五輪代表メンバー〉
GK:楢﨑正剛※、都筑龍太
DF:中澤佑二、松田直樹、森岡隆三※、宮本恒靖、中田浩二
MF:稲本潤一、中田英寿、明神智和、中村俊輔、三浦淳宏※、酒井友之、本山雅志、西紀寛
FW:平瀬智行、柳沢敦、高原直泰
※オーバーエイジ
バックアップメンバー:曽ケ端準、山口智、遠藤保仁、吉原宏太
〈代表漏れした主な選手〉
戸田和幸、市川大祐、小笠原満男、小野伸二
1998年、A代表と五輪代表の兼任スタイルでトルシエ体制がスタートした。監督はすでにワールドユース出場を決めていたU-20代表にも目をつけ、99年ナイジェリア大会で指揮を執って準優勝。ここから稲本潤一や本山雅志、高原直泰ら“黄金世代”を五輪代表に多く抜擢した。
とはいえ、彼らの上の世代が人材不足だったわけではない。
それどころか、当時ローマ所属の中田英や松田は飛び級で前回五輪を戦い、中田はすでに98年W杯を経験。宮本恒靖や中村俊輔、明神智和、柳沢敦らも97年マレーシア大会でベスト8に進出していた。日本が力を入れてきたアンダー世代の強化育成が実るかたちで、“世界”にコンプレックスを持たない五輪世代が誕生した。
実際、A代表と遜色ない豪華な構成となった五輪代表は、アジア予選を12戦全勝(66得点)で突破。本大会でもメキシコ大会以来となる32年ぶりの決勝トーナメント進出を果たす。もちろん、2年後の日韓W杯にも多くの選手が出場した。
小野のケガを知ったトルシエは「とても悲しかった」
これだけ人材豊富な世代にオーバーエイジ(楢崎、森岡、三浦)も加えた。それだけに日韓W杯メンバーの23人よりさらに絞られる、18人枠からこぼれた選手のなかにも逸材がゴロゴロしていた。
なんといっても筆頭は小野伸二である。