NumberPREMIER ExBACK NUMBER
《独占告白》「今、進むべき道だった」佐々木麟太郎が語ったスタンフォード大進学の決定的理由「失敗大歓迎。それぐらいの心意気で…」
text by
佐々木亨Toru Sasaki
photograph byNaoki Muramatsu/Hideki Sugiyama
posted2024/05/03 11:04
渡米前にNumberのインタビューに応じた佐々木麟太郎。花巻東高卒業式前に語ったスタンフォード大学進学の理由とは…
「練習施設にサポート体制など、どの大学も環境は充実していました。最後は1つに絞らなきゃいけないので、最終的には自身の意思でスタンフォード大学に決めさせていただきました」
麟太郎は「長期的な人生観」という言葉をよく口にする。
「野球選手としては、まだまだ未熟な部分が多い。フィジカルも技術も、ここからさらに高めていかなきゃいけないと思っているし、その足りない部分を身につけていく上で、僕にとっては向こう(アメリカ)の大学の環境がマッチしていると思いました。あと、野球が終わった後の人生ですね。セカンドキャリアについては、すごく考えていた。医療やトレーニングが進化する今、野球における選手生命は確実に延びていて、50歳ぐらいまでは現役としてプレーできる時代だと思っています。
ただ、日本人の平均寿命自体が延び、『人生100年時代』と言われている中で、やっぱり現役を終えてからの人生も長い。野球人生だけで考えたら、いろんな選択肢はあったかもしれませんが、野球とセカンドキャリア、その総合的な人生を考えて、歩む道を選ばなきゃいけないという思いはありました。野球ではさらに上を目指せる。勉強でも自分のやりたいことを見つけて、その分野を伸ばせる。僕にとって両方の環境が一番充実していると思ったのがアメリカの大学であって、最終的に選んだスタンフォード大学が、自分にとって『今、進むべき道』『一番行きたい場所』だと思って決断しました」
渡米直前に「勝海舟記念館」を訪れた理由
1月中旬、2度目の渡米前日に麟太郎が訪れた場所がある。
東京の大田区にある「勝海舟記念館」。幕末から明治維新へと激動する日本で大きな役割を担った幕臣の館だ。革新的な思考の持ち主だった勝海舟の幼名は「麟太郎」だった。
「いい名前をいただいたと思っています。勝海舟さんは日本の未来のためにアメリカへ渡り、そこで触れた考え方などを持ち帰った方ですよね。新たな道を切り開いたその歩みや歴史を改めてこの目で確かめてみて、感じるものがありました。自身の名前の由来と意味を噛みしめた一日でした」
麟太郎という名前について、名付けてくれた父親と話すことがあるそうだ。
【続きを読む】サブスク「NumberPREMIER」内の《独占告白》「今、進むべき道だった」スタンフォード大進学・佐々木麟太郎が語った“長期的な人生観”とは?「『海舟』に改名しようかって」で、こちらの記事の全文をお読みいただけます。