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プロ野球PRESSBACK NUMBER
「ええ投手になるで!」清原に絶賛された高卒ルーキーは、なぜたった“2勝”で引退したのか? 星野も落合もホレた天才右腕の悲劇と今
text by
栗田シメイShimei Kurita
photograph byKYODO
posted2024/04/23 11:20
ルーキー時代の中日ドラゴンズ・中里篤史(2001年)
しかし、先発ローテーション入りが期待された2002年のキャンプで悲劇は起きる。ミーティング後、ホテルの階段を降りている最中に足を滑らし、とっさに右手で手すりを掴んだ瞬間、右肩を脱臼したのだ。診断結果は右肩関節唇および関節包の損傷。利き腕の脱臼という投手にとっては致命的な大怪我から、復帰へ向けた3年超にも及ぶ長いリハビリ生活が始まった。
回復の兆しを見せていた2003年の秋季キャンプでも再び右肩を痛めた。診断結果はまたしても右肩の脱臼で、復帰は遠のく。これまでメスをいれて球速が戻った前例はほとんどなく、中里自身も当初は手術を拒否していたが、癖になった脱臼を解消するため決断を迫られた。当時の心境を雑誌のインタビューでこう話している。
「全ては復帰のため、前向きな思いで手術に踏み切りました。それでも本当に良くなるのか、この決断は正しいのかと毎日悩みましたよ。不安で不安でしかたがなかった。オペ室に運ばれている時も天井を見上げながら、『今、やめると言ったらどうなるかな』と考えたりしましたからね(笑)」(週刊ベースボール/2006年2月13日・20日号より)
「投手じゃなくなったら野球をやめる」
度重なる怪我を加味して、中里の投手としての復帰については懐疑的な意見が目立った。1年目に一軍で3安打を放つなど圧倒的なセンスを見せていたこともあり、当時の新聞紙面にはいくどとなく「中里・打者転向か?」という文字が並んでいる。しかし、中里は投手として生きることに強いこだわりをみせた。
「投手じゃなくなったら野球をやめます。中日をクビになってもフリーターしながら他球団のテストを受けますよ」(プロ野球ai/2006年1月号より)
手術後も電車で2時間かけて三重県の病院まで通い、時には1カ月泊まり込みでビジネスホテルから通院する缶詰め生活を過ごした。
「もう野球選手ではなく、陸上部か? というくらい走ってばかりでボールを投げられない日々が続いた。周囲からは何度も打者転向を薦められましたが、僕としては『投手でないなら野球をやめる』という強い気持ちでリハビリに向き合っていました。1年目のボールよりもよいボールを皆さんに見せたい。その想いが復帰への支えになっていました」