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「ええ投手になるで!」清原に絶賛された高卒ルーキーは、なぜたった“2勝”で引退したのか? 星野も落合もホレた天才右腕の悲劇と今 

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栗田シメイ

栗田シメイShimei Kurita

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posted2024/04/23 11:20

「ええ投手になるで!」清原に絶賛された高卒ルーキーは、なぜたった“2勝”で引退したのか? 星野も落合もホレた天才右腕の悲劇と今<Number Web> photograph by KYODO

ルーキー時代の中日ドラゴンズ・中里篤史(2001年)

 今年でスコアラーとしては13年目を迎え、選手としてのキャリアよりも長くなった。しかし、それでも中里に「あの時のストレートは一体どれくらいノビていたんですか」と、質問を投げかける選手もいるという。

「ありがたいことに、今でも本当に多くの方にルーキー時代の1試合目、ジャイアンツ戦の投球が印象に残っていると言って頂けるんです。正直、あの試合があったから、怪我をした後も期待をしてもらっているとも感じていましたよ。その後は、ずーーっと、あの試合の球をもう一度みなさんに見せたい、ということしか考えていなかったですね」

先輩・朝倉健太も驚き「中里は快速球」

 2000年のドラフト会議で1位指名を受け、春日部共栄高校から中日に入団。高校時代からストレートとカーブの2球種のみで三振の山を築き、3年夏には埼玉大会・決勝で浦和学院高の坂元弥太郎(元ヤクルトスワローズ他)と高校球史に残る投げ合いを演じた。

 ルーキーイヤーの2001年はファームで7勝を挙げ、150キロオーバーの球速を見せて台頭。チャンスを勝ち取った中里は、冒頭の通り、同年9月にナゴヤドームで一軍デビューを果たした。中里が当時を振り返る。

「登板感覚や体力面の課題は見えましたが、ストレートは通用する感触を持ちました。自分のパフォーマンスがしっかり出せればプロでもやれる、ということは感じましたね」

 重力に逆らうかのように高めに浮き上がるストレートの質は、好投手が揃っていた中日においても際立っていた。首脳陣だけではなく、同じ投手陣でもその素質を絶賛する者もいた。前年のドラ1である朝倉健太は当時の中里との対談でこう話している。

「中里って前評判がめちゃくちゃ高かったでしょう。だから、どんな選手なんだろう…ヤバいな~って思っていたんだよね。実際には、評判通り…いやそれ以上かもしれない…!(省略)同じ速球派でも中里は快速球。僕は豪速球タイプだから。豪速球はプロじゃあなかなか通用しないんですよ」(プロ野球ai/2002年1月号より)

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