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プロ野球PRESSBACK NUMBER
「必ず若い番号に戻してやる」落合博満が忘れなかった“悲運のエース”との約束…消えた天才と呼ばれた中里篤史は今〈中日ドラ1右腕の悲劇〉
posted2024/04/23 11:21
text by
栗田シメイShimei Kurita
photograph by
Sankei Shimbun
復活に向けてリハビリに励んでいた2003年秋季キャンプのランニング中。中里のもとに落合が歩いてきて、こんな言葉をかけたという。
「今のお前はこの背番号じゃない、と。番号は大きくなるけど、怪我が治ったら好きな背番号をつけさせてやるから。必ず若い番号に戻してやる、と」
中里は2004年から70番を背負うことが決まっていた。入団時からつけた「28番」に愛着があっただけに、小さくないショックも受けた。
落合の言葉は、今にして思えば過度なプレッシャーをかけたくないという配慮もあったのだろう、と想像がつく。だが、その言葉の真意を知るのは、2005年10月の復帰登板の2日後、監督室に呼び出された時だった。
「落合監督は投手陣のことは森繁和さんに任せていて、そんなに話す機会はないと僕達も感じていて。だから、背番号の件も口約束くらいにしか思ってなかった。それが、監督室に呼ばれ1対1で向き合い、落合さんから短い言葉で『好きな番号を言え』と。あ、あの時のことを覚えて頂いていたんだと感動しましたね。それを僕から伝えると、『約束しただろう』とだけ言われました。18に憧れがあることを告げると、翌年からは本当に18番をつけさせてもらったんです」
風呂場でもらった的確なアドバイス
中里は落合とそれほど多くの言葉を交わした記憶はない。だが、その一つ一つは印象深いものだった。ある日、宿舎の風呂場で偶然2人きりになった際の会話も鮮明に覚えている。
「投球フォームの変化などの話になり、『俺は昔のフォームの方が良かった』と伝えられました。さらに『今のフォームはこういう風になってしまっている』と、的確なアドバイスを頂いて、それが見事に全部納得できるものなんですよ。その時に、落合さんは確かに投手のことは森繁さんに任せていましたが、決して見えていないわけではなく、本当に細かいところまで見ているんだ、と。凄く印象的でしたね」
新調した背番号とともに臨んだ2006年は、シーズン後半に中継ぎの一角として起用され、152キロを計測した。自身が掲げた「1年目よりも速いボールを」という目標を達成している。
シーズン最終戦の広島戦ではピンチの場面で起用され、新井貴浩を三振にとるなど無失点で切り抜けた。CSの短期決戦へ向け、三振がとれる投手を求めていた首脳陣の期待に応える投球内容に、落合からは初めて「ナイスピッチング」と短く声をかけられた。多くは語らない名将の一言に、中里は確かな手応えを感じていた。