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「翔平が怒ってます」「怒らせとけ」栗山英樹監督が日本ハム時代の大谷翔平に言い続けたこと「チームを優勝させてから行け。なぜなら…」
text by
栗山英樹Hideki Kuriyama
photograph byJIJI PRESS
posted2024/04/20 11:03
日本ハムファイターズ時代の栗山英樹監督と大谷翔平。栗山監督が明かした大谷メジャー行きの5年構想とは…
メジャーに行くまで日本にいる時間が短ければ短いほど、ファイターズを選んでくれた彼に対する誠意になると僕は思っていました。早く行かせてあげられれば、彼も喜ぶ。そのほうが、彼のためになる。ただ、それは力をつけてから、が条件でした。
僕はまず、「チームを優勝させてから行け」と言っていました。なぜなら、「二刀流は優勝するためにあるんだ」と彼には言ってきたし、僕はそう信じていたからです。だから、チームに貢献してから行くべきだと思いました。
日本一は翔平の活躍があってこそ
入団4年目の2016年、翔平はチームを日本一にしました。先にも触れた、大差がついていたソフトバンクとの優勝争いに勝ち、日本シリーズでも勝ったのです。あの日本一は、翔平の活躍があってこそ、でした。
これで翔平は約束を果たしました。日本にいるのは、目途として5年と言っていましたが、ここからは翔平の選択でした。5年である程度、身体ができて、プロの野球をそれなりに覚えられると僕が踏んだ5年に、ぴったり照準を合わせてきたわけです。
やっぱり神様がいると思いました。1年、余裕を持たせて、4年目を優勝で終えた。さあ、あと1年準備してアメリカ行きだ、とできるわけです。
翔平の4年目のシーズンが終わったオフから、僕は1カ月半おきくらいに、翔平に本当にアメリカに行くのか確認していました。5年目のシーズンは、開幕直後に大怪我をしてしまいました。ファーストに向かうときに肉離れを起こしてしまった。しかし、肉離れだけは、どうしても起こるのです。
翔平からの質問「僕がどの程度できると…」
ここから2カ月半、翔平はチームを離れますが、その間も「本当に今年が終わったらアメリカに行くのか」と僕は確認していました。翔平は一切、ブレませんでした。
「行きます」と毎回、必ず言っていました。