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「あの日、クラブは消滅寸前でした…」楽天・三木谷浩史社長“涙の20分間スピーチ”がヴィッセル神戸を変えた「負債16億円“どん底”から優勝」
text by
栗原正夫Masao Kurihara
photograph byGetty Images
posted2024/03/30 11:08
昨年11月、ヴィッセル神戸の優勝セレモニーでの三木谷浩史氏。クラブの経営を引き受けて20年目にJリーグ初優勝
「ありがたいことに、私は小学生時代を除き、大分の明野中学校、長崎の国見高校、国士舘大学で日本一を経験してきました。プロ入り後も、タイトルに恵まれました。ただ、1998年度にフリューゲルス最後の試合で天皇杯優勝したときも、周りが泣いているなか、涙は1ミリも出ませんでした。もちろん、1992年のバルセロナ五輪予選で敗退したときなどに“悔し涙”を流したことはありましたけどね。
それが今回は3度も泣きました。名古屋戦は三木谷オーナーと一緒に観戦していたのですが、終了のホイッスルが鳴った瞬間にオーナーの横顔を見たら自然と涙が出てしまい……。そのあともピッチに降りていき、選手やスタッフと喜びを分かち合っているときに涙が出て。
最後は優勝セレモニーのとき。サポーターの方にもピッチに入っていただき、選手やスタッフとハイタッチをしたんです。私はこれまでヴィッセルとは縁がなかったですし、SDの職に就いた経緯を考えても、サポーターの方に受け入れられていないのではという思いがありました。なので、ハイタッチすることに躊躇いがあり最初は一歩引いていました。それでも、恐る恐る近づきサポーターの方に『ありがとうございました』と伝えると、『ありがとう!』と返していただき、涙をこらえることができませんでした。
選手時代も、勝って嬉しくないわけはないんですが、どこか自分ごとだったところがあります。いまは周りの方に支えられていることを実感している分、余計に感傷的になったのかもしれません」
「最初はお断りしたんです」
永井と三木谷オーナーは、永井が選手時代からの旧知の仲だったという。それだけに永井は2021年9月に一部週刊誌で報じられた“指導に関する問題”で東京Vの監督を辞任し(インタビュー後編参照)、周りの人間が離れていくなか、声をかけてくれた三木谷オーナーに「恩返しをしたい」という思いが強かったのだろう。
「(SD就任で)批判の声が上がるのは想像できたじゃないですか。最初はお断りしたんです。それでも、もう一度声をかけてくれた。そういう意味で必ず恩返しをしたいと思っていました。まあ、(昨年の優勝では)全然足りないですけどね」
三木谷オーナー「涙の20分間スピーチ」
永井はヴィッセル神戸初優勝までの転機として、三木谷オーナーの“涙のスピーチ”があったと明かす。