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“批判された名門加入”から数カ月で「エンドウ写真撮って!」子どもの憧れに…遠藤航31歳が“失意のアジア杯”後もリバプールに不可欠な理由
text by
小野晋太郎Shintaro Ono
photograph byGetty Images
posted2024/02/24 17:02
アジアカップ後、リバプールの3連勝に貢献した遠藤航(31歳)。現地時間2月25日、加入後初のタイトルを懸けた戦いに臨む
激動の年の瀬を過ごした遠藤に休まる暇はない。次は慣れ親しんだ代表チームに合流する。
真っ赤だったユニフォームとマウスピースの色を青く戻し、左腕には黄色い腕章を巻く。質は違うが、重みは同じ。常人が経験できない重圧がその背中にのしかかる。
世界を代表するビッククラブのレギュラーの座をより確かなものにするために、1カ月以上も離脱しなければならないアジアカップを回避することはできた。そう論じる世論もあったし、ジャーナリストもいた。それが日本のためになると言っても、むしろ批判は少なかったかもしれない。それでも、遠藤はリバプールに残ることを最初から考えていなかった。考えすらなかったと言っていい。
実際、12月よりも前に選ばれた場合はチームを離れる意思を伝えていた。リバプールでの自分がどういう状態にあろうが、日本代表に懸ける思いは変わらなかった。魂は言葉よりも、行動で示す。それが遠藤にとっての熱の表現の仕方だ。
日本代表のフィールドプレーヤーで、遠藤は唯一、アジアカップ全5試合でフル出場を果たした。走行距離という数字が示すように、ピッチの上では誰よりも走った。
だが、負けた。日本代表に対する希望が大きかった分、失望だけが残った。
漂う風格から忘れそうになるが、アジアカップは遠藤にとってA代表のキャプテンとして初めて迎えた大会だった。もともと、これまでも一からうまくいってきた選手ではない。むしろ、遠藤のサッカー人生は上手くいかない時間の方が長かった。
アンダー世代で日の丸を背負った時、何度もアジアの壁に阻まれてきた。特にイランとイラクには何度も、何度も苦汁をなめている。2018年ワールドカップでは、1分たりとも出場時間が与えられなかった。ベルギーを経てドイツにステップアップした当初はベンチにすら入れなかったし、リバプールにやってきた当初も30歳のアジア人を“したり顔”のOBが酷評した。
でも、最期はどうなったか?
世代別日本代表の集大成であるリオ五輪の出場権はイランとイラクを倒して掴んだ。2度目のワールドカップでは、脳震盪のアクシデントを乗り越えて強国ドイツを誰よりも削った。シュツットガルトではキャプテンマークを巻いて降格危機のチームを救った。辛辣だったリバプールOBは、新たな批判と飯のタネを一生懸命探している。
もちろん、アジアカップは日本代表にとって大事な公式戦だったが、ワールドカップ優勝という最終目標から逆算したら、挫折から始まることこそが日本代表の歴史と遠藤航のベースになる。答えはない。遠藤が考えることは、最適解だ。日本代表という旅の最終目的地はおそらくアメリカの地。視界は曇っていても、いつかは晴れる。そこまでの航海は、荒波で良い。
トロフィーと献身的な日本人
失意のアジアカップを終え、リバプールに帰陣した遠藤は初戦からスタメンを掴む。直前の試合で敗北を喫していたチームに、安定と勝利をもたらした。現在もプレミアリーグの首位を走っている。遠藤がスタメン出場した11試合は、一度も負けていない。
アジアカップ期間中には、クロップが今シーズン限りの退任を発表した。世界中が注目する「クロップ最期の戦い」の中心で、身を削りながら闘っていくだろう。そういえば、クロップがタイトルを得たとき、決まってその国の選手がいるらしい。香川真司と南野拓実。抱き上げたトロフィーと献身的な日本人。次は遠藤がその順番を待っている。
まずは、一冠目。現地時間2月25日、リバプールが最多優勝を誇るカラバオ杯の王座を懸けた戦いが始まる。叩いてきた人たちの手のひらは、最後は返し刀で拍手に変える。遠藤が証明してきた、いつもの姿だ。
(全3回・完)