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プロ野球PRESSBACK NUMBER
「明日戦力外、言われるわ」「また、対戦しような」16年ドラ1→新人王も戦力外に…元阪神・高山俊が胸中激白 “盟友”坂本誠志郎との最後の会話
text by
酒井俊作Shunsaku Sakai
photograph byBUNGEISHUNJU
posted2024/01/29 17:00
2016年に阪神にドラフト1位で入団、新人王も獲得した高山俊。前途洋々だったはずのプロの世界でなにが起こったのか
どこで潮目が変わったのだろうか。かつてのスター候補生は胸中を吐露した。
「すごくいい成績ではなかったですが、いま思えば、1年目をある程度の自信にして、2年目以降に繋いでいれば、また違った結果になっていたかもしれません。1年目は周りについていくのに必死で、そんな状況で出た結果でした。
僕自身、当時『このままじゃダメだ』という気持ちが強くて。周りにもそう言われていて、『1年目に活躍したから自信にして』という考え方はできませんでした。あの結果で、ずっと続けられると思っていませんでしたから」
16年は新監督の金本知憲が「超変革」の旗印を掲げ、ペナント奪回に燃えた。
ルーキー高山はその象徴として中日との開幕戦に「1番左翼」で先発し、1回、大野雄大からプロ初打席初安打を左前に運んだ。その後も、ヒットを重ねていった。136安打は球団の新人最多記録(当時)で、猛打賞13回は巨人長嶋茂雄の14回に次ぐNPBの新人2位である。134試合出場で打率.275、8本塁打、65打点。新人王も獲得し、好発進と言っていい。
だが、周囲の高評価とは裏腹に、高山の危機感は高まる一方だった。
「その時くらいから、“自分がチームにフィットするように”と思ってしまっていたのかもしれません」
チームの得点力不足解消へ…強すぎた責任感
1年目。本来は1番を打つリードオフマンタイプだが、夏以降は3番を任され、8月中旬からの1カ月少々で5本塁打を量産した。それでも、チームは4位に終わった。最多の本塁打はマウロ・ゴメスの22発。福留孝介と原口文仁が11発で続いたが、得点力不足も停滞の一因になった。
「当時は長打を打てる打者がそんなにいなくて、自分がやらないといけないという思いもあって、2年目は長打力アップを目指しました。1年目の最後の方から3番を打たせてもらいましたが、なかなか勝てませんでした。でも、長打は増えていたし、その延長線上の目標でした。体も鍛えていて、長打を打てるようにと自然に考え方が変わっていきました」