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プロ野球PRESSBACK NUMBER
「明日戦力外、言われるわ」「また、対戦しような」16年ドラ1→新人王も戦力外に…元阪神・高山俊が胸中激白 “盟友”坂本誠志郎との最後の会話
posted2024/01/29 17:00
text by
酒井俊作Shunsaku Sakai
photograph by
BUNGEISHUNJU
自ら戦い抜いた末の敗北だった。
高山俊の人生を変える電話が鳴ったのは2023年10月2日の昼下がりだった。
よく晴れていた。練習は休日で、美容院で髪を整え、昼食をどうしようかと考えていると、スマートフォンが震えた。球団からの連絡だった。
事務的な声が聞こえてくる。この季節になれば、ともに戦ってきた仲間が1人、2人と消えていく。ずっとそんな光景を見てきた。だから、すぐに察しがついた。
「しょうがないな……」
心は乱れなかった。ただただ、無力感が募った。絶えず一軍の大舞台を目指して戦ってきた。厳しい立場になっても、やるべきことをやり、そして敗れたのだ。最善を尽くしたという自負は、私の問いに対する反論にはっきりと表れていた。
――自分の中で、「戦力外を覚悟していた」といったような感情はあったのか?
「『覚悟していた』というと……それを考えながらプレーしていたということですよね。それは違います。やっている時は、毎日、必死になってやっています。『覚悟していた』というと、応援してくれているファンに申し訳ない。そういう感情はまったくありません」
これまで何度も戦力外になった選手を取材してきた。そのやりとりの中で“覚悟していた”と明かし、重圧から解放された顔を何人も見てきた。高山はまったく違う。相変わらず眼光は鋭く、思いをはっきり口にする。覇気は消えていなかった。
六大学歴代最多安打→ドラ1→新人王…なぜ躓いた?
明治大で東京六大学歴代最多の通算131安打、2016年のドラフト1位入団、同年のセ・リーグ新人王……。プロデビューを華々しく飾り、誰もが前途洋々たる未来が開けていると信じていた。
だが、3年目に極度の打撃不振に陥り、20年以降も精彩を欠いた。そして、チームが18年ぶりのリーグ優勝を果たした昨秋、非情の通告が待っていた。シーズン中は一度も一軍でプレーできなかった。1年目の活躍が鮮烈だっただけに、その後の苦闘とのコントラストが浮き彫りになる。