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小野伸二16歳の衝撃「頭の後ろに目があるんじゃ…」中田浩二がいま明かす“天才に出会った日”「同じ年齢のヤツにここまでやられるのか」
text by
寺野典子Noriko Terano
photograph byAFLO
posted2024/02/01 11:03
2002年日韓W杯で決勝トーナメント進出を決め、喜びを分かち合う中田浩二と小野伸二。2人の出会いは1996年夏のインターハイ決勝だった
「なかったですよ。当然試合に出られるのは11人だから、代表チーム内に序列が生まれるのは仕方ないことです。でも、遠慮していられないし、同時に伸二たちが『こっち来いよ』と引っ張り上げる空気を作ってくれたように思います。選手それぞれが個性的で、よく話すヤツもいれば、無口なヤツもいたけれど、誰ひとりこぼれることなく、『みんなでやろうぜ』という空気がチーム内にありました。なにか特別な言葉を発するわけじゃないけど、常にそういう雰囲気でした。同時に、お互いを認めながらも誰もが『負けたくない』という負けず嫌いだったから。ピッチに立てば、本気で競い合った。ピッチを離れれば、和気あいあいとみんなで楽しい時間を過ごしていた。その中心にいたのが小野伸二だった。その空気が僕らの世代の強さだったと思います」
フィリップ・トルシエという劇薬
――そして1998年ワールドカップフランス大会に、小野伸二が出場する。
「羨ましいなと思いましたよ。僕らはちょうどアジアユース選手権(U-19)予選を戦っていたんです。伸二が立っている場所と、自分がいる場所の違い、差の大きさを痛感して、悔しさがあった。同時に今まで無縁だったワールドカップを、身近に感じるようになったのも事実です。鹿島の先輩もワールドカップに出ていたけれど、同じ歳の伸二の存在はまた別でしたね」
――ワールドカップという目標が明確になった。
「とはいえ、自分がいるのはU-19のアジア予選。まずは、今やるべきことをしっかりとやって、上を目指していく。そういう向上心の先にワールドカップという目標が明確になったのが、この時だったと思います」
――1999年になり、ワールドユースを戦う指揮官として、フィリップ・トルシエが就任しました。
「彼が来たことで、より激しい競争が生まれました。勝つためにどうすべきかという意味で厳しい指導があり、引き上げてもらった。もともと僕らは個性派のグループで、そこへフィリップのような強烈な個性の人間が来れば、分裂する可能性もあったけれど、そこでも伸二を中心にチームはまとまって、うまくやれた。少々強引というか、『そんなことやるの?』というような指導であっても、『やるっていうなら、仕方ないから、しっかりやろう』という空気がありましたね。伸二が受け入れて、動いているんだからという感じで、自然とまとまっていたと思います」