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「異例の転身」プロ野球→二郎系ラーメン店主に…筒香嘉智と同期入団、ベイスターズ投手の人生を一変させた「1800円のアメリカ残念ラーメン」 

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photograph byTakuya Sugiyama

posted2024/01/24 11:00

「異例の転身」プロ野球→二郎系ラーメン店主に…筒香嘉智と同期入団、ベイスターズ投手の人生を一変させた「1800円のアメリカ残念ラーメン」<Number Web> photograph by Takuya Sugiyama

プロ野球を引退しラーメン店主となった小林公太

“最後の望み”でまさかのアメリカ挑戦


2012年に横浜を退団となった後、クリーブランド・インディアンス(現・ガーディアンズ)とマイナー契約。最後の望みを懸け参加したトライアウトで、米国スカウトの目に留まったのだ。

――アメリカでプレーするというビジョンは、元からあったのでしょうか。

小林 3年目の頃になると、引退のことも当然よぎるじゃないですか。それで将来のことを考えた時に、「今後は英語が喋れなきゃダメだ」という思いが頭の片隅にありました。それもあって、何とかしてアメリカで野球をしたいと思っていたんです。1年間アメリカでプレーすることができて、本当にいい経験でした。

――当時はどのような生活でしたか?

小林 月給1万7000円に、週5000円ほどのミールマネー(食事代)を合わせて、月の手取りは3万~4万円ぐらい。これでは生活ができない、と思うことも正直ありました。ただ、一緒にプレーしていたベネズエラやドミニカ共和国出身の選手たちはそれを「大金だ!」と言って、家族に送金していた。彼らのハングリー精神に触れて、敵わないと思うと同時に、これまでより視野が広がった感覚もありました。

アメリカで食べた「1800円の残念ラーメン」

――アメリカでの食事事情はいかがでしたか?

小林 アメリカで半年くらい生活した頃、ふとラーメンが食べたくなって、家から100キロ先のラーメン屋までアメリカ人の同僚と一緒に食べに行ったんですよ。値段はたしか1800円くらい。「アリゾナで一番流行ってる」という触れ込みで行ってみたら、鳥ガラの素をただお湯で割ったようなスープで、全然美味しくなくて……。その瞬間です、自分でラーメン屋をやろうと思ったのは。


野球選手として日本とアメリカで戦った小林が選んだセカンドキャリアは、ラーメン店。しかも熱心なファンがいることでも有名な二郎系だ。異色のキャリアはいかにして実現したのか?《続く》

#2に続く
「22歳で野球を諦められてよかった」二郎系ラーメン店主に転身した元ベイスターズ・小林公太32歳が語る「プロ野球選手のセカンドキャリア問題」

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