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「22歳で野球を諦められてよかった」二郎系ラーメン店主に転身した元ベイスターズ・小林公太32歳が語る「プロ野球選手のセカンドキャリア問題」
posted2024/01/24 11:01
text by
NumberWeb編集部Sports Graphic Number Web
photograph by
Takuya Sugiyama
スポットライトの裏で、日々激しい競争が繰り広げられるプロ野球の世界。2009年の育成ドラフトでプロ入り後、横浜ベイスターズなどでプレーした投手・小林公太がセカンドキャリアに選んだのは、「二郎系ラーメン店」だった。異色の転身を遂げ、現在では6店舗を展開する小林に話を聞いた。《NumberWebインタビュー全3回の第2回》
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横浜ベイスターズで3年間プレーした後、米国クリーブランド・インディアンス(現・ガーディアンズ)でマイナー生活を経験。当時4年目の22歳だった小林は、大きな岐路に立たされた。
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――インディアンスとの契約が終わった時、日本で再び野球を続けるという選択肢もあったのでは?
小林 自分の中ではなかったですね。社会人チームなどから契約の話もいただきましたが、断りました。プロ野球、アメリカと経験して、やり切ったという思いが強かったからです。だからそれ以上、野球に固執する理由もなかったというか。
――未練はなかったのですね。
小林 一切ないですね。これだけやってダメならしょうがない、というところまでできたので。22歳で野球を諦められたのは、僕にとっては逆にありがたかった。スパッと切り替えて、次の道へ行けたわけですから。
シェフに言われた「お前は絶対料理の才能がある」
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野球人生に区切りをつけた小林が次に向かったのはオーストラリア。現地のジャパニーズレストランでアルバイトをしながら英語を習得する語学留学だった。そして1年後、日本に帰国した小林は、「好きだったラーメン屋を開きたい」という夢へと進んでいく。
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