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「異例の転身」プロ野球→二郎系ラーメン店主に…筒香嘉智と同期入団、ベイスターズ投手の人生を一変させた「1800円のアメリカ残念ラーメン」
posted2024/01/24 11:00
text by
NumberWeb編集部Sports Graphic Number Web
photograph by
Takuya Sugiyama
スポットライトの裏で、日々激しい競争が繰り広げられるプロ野球の世界。2009年の育成ドラフトでプロ入り後、横浜ベイスターズなどでプレーした投手・小林公太がセカンドキャリアに選んだのは、「二郎系ラーメン店」だった。異色の転身を遂げ、現在では6店舗を展開する小林に話を聞いた。《NumberWebインタビュー全3回の初回》
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――幼い頃から、プロ野球選手を目指していたのですか?
小林 いえ、元々は競馬の騎手になりたかったんです。父に連れられて行った東京競馬場が小さい頃の遊び場で。小学校、中学校と野球もやっていたけど、全く芽が出ない選手でした。JRAの競馬学校への入学も本気で考えましたが、中3で身長がグーンと伸びてしまって。そこで一度将来に悩みましたね。
――進学されたのは、多摩大聖ヶ丘高校ですね。
小林 野球のほうで推薦が来ることもなく、一般入試で。当時偏差値は65くらいある進学校で、野球部の活動よりも勉強中心の生活。練習は1日2時間までと決まっていました。
料理人も野球選手も、考えたことはなかった
――学業以外では、どんな生活を送っていたんですか?
小林 母親が調布駅前で居酒屋をやっていて、けっこう繁盛していたんです。高校は完全下校が18時だったので、夜は自主練をするか、店の手伝い。60席くらいの店で、ホールの仕事を中心に、ドリンクを作ったり、料理のサポートをしたりしていました。
――高校時代の手伝いが、料理との最初の出会いだったのですね。
小林 そうですね。当時からその時間はすごく好きでした。将来料理人になるとかは、全く考えなかったですけど。
――では、将来野球のほうでプロになるという考えは?
小林 それもなかったですね(笑)。そもそも無理だと思ってましたし。高校時代は、大学に行って、会社員になって……と漠然と考えていました。