熱狂とカオス!魅惑の南米直送便BACK NUMBER
浦和レッズ伝説FWの引退後「政治は金がかかるね…」ブラジルで議員→スポーツ長官に転身のワケ「草サッカーチームの名はウラワ・レッズだ」
text by
沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph byHiroaki Sawada
posted2024/01/22 11:03
浦和レッズ時代のユニフォームを着用したワシントン(48歳)
「スタンドを埋めたサポーターが喜んでくれたのが、本当に嬉しかった。彼らから手作りの王冠をプレゼントされ、頭に被せてもらった。自分の人生で最高の瞬間の一つで、今でもそのときの写真を携帯に入れている」
2008年はリオの名門フルミネンセへ移籍し、ブラジルリーグで21得点をあげて得点王に輝いた。
「この年は、体調が非常に良かった。もし浦和に残っていたら、間違いなく素晴らしいプレーができていたと思う。それが残念だ」
皮肉にも、浦和は「選手とのコミュニケーション不足」を理由に、この年3月、Jリーグ第2節を終えたばかりの時点でオジェック監督を解任している。
35歳で引退、凄まじい決定力を示す数値
その後、2009年から2010年途中までサンパウロFCでプレーした後、フルミネンセへ復帰。2011年もプレーを続けるつもりだった。しかし、プレシーズン期間中にチームの戦力構想から外れ、2011年1月、35歳で引退を発表した。
17年間の現役生活を通じてブラジル、トルコ、日本の3カ国の延べ12クラブでプレーし、449試合に出場して344得点をあげた。1試合平均得点は0.77である。
Jリーグが始まって以降、日本人選手で最も多く得点をあげたのは大久保嘉人で、J1通算477試合に出場して191得点、J2では48試合18得点。1試合平均得点は0.38だ。ワシントンの決定力がいかに高かったかがわかる。
35歳で引退したワシントンは当初、最初のプロ契約を結んだカシアスの本拠地で、母親と夫人の出身地でもあって馴染みがあるブラジル南部の中都市、カシアス・ド・スルに居を構えた。
今明かす市議会議員→スポーツ長官になるまでの経緯
そこから知人に勧められて、マンションを建設、販売する会社を設立。選手時代の名声にも助けられて、ビジネスは順調だった。
事業を通じて地元の有力者と面識ができると、「政治家になって地元のスポーツを振興してくれないか」という声を聞いた。2012年後半、カシアス市議会議員の選挙に立候補したところ、全くの新人でありながらトップ当選を果たした。
市議会議員の任期は、2013年1月から4年間。ところが、議員に就任する前に市長から「市のスポーツ長官を務めてもらいたい」という要請を受けた。
「市議会議員として、市のスポーツ振興のために働くつもりだった。しかし、『スポーツ長官の方が権限が大きいから、もっと効果的に仕事ができる』と説得された」
「ブラジルでは、議員に当選した後、別の公職のポストを引き受けたら、その間は議員を休職することができる。そして、その仕事が終わったら議員に復帰できるんだ」
こうして、2013年初めからカシアス市のスポーツ長官として働き始めた。