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立浪和義が吐露していた「現場と外はちゃうんや…」あの天才が中日監督でなぜ苦悩? PL学園の盟友が明かす「タツが苦しんでるのは…」
posted2024/01/12 11:00
text by
柳川悠二Yuji Yanagawa
photograph by
Nanae Suzuki
現役生活「22年でAクラス17回」
スカウトとして立浪和義をPL学園に導いた井元俊秀は、1987年のドラフト会議を前に、当時の中日ドラゴンズ監督である星野仙一に訊ねた。なぜ立浪が欲しいのか――。すると星野はこう答えたという。
「立浪が入ってくれたら、向こう10年はショートの選手を獲らなくていいから」
星野時代、そして落合博満監督時代と、立浪は3度のリーグ優勝に貢献し、日本一も経験した。通算2480本安打を放った22年の現役生活で、Aクラスが17シーズン、最下位はわずか2回と中日は高次安定した成績を収めてきた。
つまり、立浪は高校からプロ野球を引退するまで、いわゆる弱小のチームで過ごした経験がない。常勝軍団に身を置き続けた立浪にとって、勝てないチームの再建は難しいミッションなのか。西武の黄金期に投手コーチを務め、その後は日本ハム、横浜、中日と渡り歩いた森繁和が再建過程のチームを指導する難しさを指摘する。
森繁和「時に非情になる必要はある」
「私も黄金期の西武で投手コーチをしたあと、日本ハムや横浜に行くと、どうしても西武の投手陣と比べてしまっていた。西武と同じことをやっても選手はついてこない。その点、中日という球団は、もともと練習するチームだった。落合監督は監督に就任した2003年オフ、新シーズンに向けた補強をほとんどせず、現有戦力で戦うと公言した。その上で結果が残せなければ来年クビにすると選手の危機感を煽り、実際翌年に優勝できたんだ。そして結果を残せなかった20人近くの選手を戦力外にした。チームを刷新する上で、時に非情になる必要があるのは理解できます」
野村弘樹「あれだけの大打者だから…」
PLの同期生である野村弘樹はこう見る。