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「アキレス腱を切った瞬間、笑ってしまった」元日本代表MF柏木陽介36歳が本音で明かす引退と“若気の至り”「試合に出られるだけで嬉しくて…」
text by
原山裕平Yuhei Harayama
photograph byKiichi Matsumoto
posted2024/01/09 11:00
サンフレッチェ広島、浦和レッズ、FC岐阜と渡り歩いて引退した柏木陽介。そのキャリアを包み隠さず語ってくれた
「そうですね。ただ、この状態で終わるんじゃなくて、戻っていく過程も今後の人生において大事だと思ったし、最後の姿を見せたいという気持ちでリハビリには取り組んでいました。でも、戻ったら戻ったで、やっぱりサッカーって楽しいな、 好きだなって思うわけですよ」
――もう少し続けたいという気持ちも出てきた?
「でも怪我をしてからは、引退の二文字が頭から消えることはなかったですよ。それに僕が岐阜に来て3年経ちますけど、3年でJ2に上げられなかったら、それもダメかなとも思っていて。当たり前ですけど、やっぱりチームって、監督がいて、スタッフがいて、選手がいて、30人くらいが一致団結して結果を出していかないといけない。岐阜に来てその難しさをさらに感じたので、自分はもう選手としてではなく、違う立場に立った方がチームを変えられるんじゃないかっていう想いも出てきたんですよね。言いたいことは全部言ったし、選手としてやれることはもうないのかなって」
ミシャの下で笑顔でサッカーをやっている時間が多かった
――18年のキャリアを振り返ると、2006年にサンフレッチェ広島でJリーグデビューしましたが、その年に生涯の恩師とも言えるミハイロ・ペトロヴィッチ監督との出会いがありました。
「それがなかったら、ここまでやってこられなかったんじゃないですかね。ミシャ(ペトロヴィッチ監督の愛称)にはサッカーの楽しさを教えてもらいましたし、ミシャの下では笑顔でサッカーをやっている時間が多かったですね。
多分、ミシャ自身も現役時代は身体能力がなかった方だと思うんですよ。だから、チームとしてどう繋がって、どうやって相手を剥がしていくのか。どうやったら効果的なのかっていうのをずっと考えていたと思うし、それを分かりやすく伝えてくれた。自分が求めていたのはこういうサッカーなんだって、ミシャの下で学ばせてもらったし、まだあの時代には国内でパスを繋ぎまくるサッカーをやっているところはなかったんじゃないですかね。だから、新鮮で楽しかったですよ」
――観ていても面白かったですけど、リスクがあるので失点も多く、結果にはなかなか繋がらない部分もありましたね。